【コラム・雑記】オリンピックとパラリンピックを統合しては?

これまでパラリンピックを見る機会が少なく、テレビ越しに繰り広げられる熱戦を、どのような目線で見ればいいのか困っていた。

例えば片腕を失った人がパラリンピックレコードで金メダルを獲得したとする。片腕がなければ左右のバランスがとりにくいだろうから、真っすぐに泳ぐのも難しいのは想像できる。そこで「あの人、障害がある割によくやったな」と思うのは、いかにも上から目線で、健常者と障害者に優劣を付けているようだ。

だからと言って、日ごろの練習の過程をよく知らないだけに、半ば当事者として感情移入することもできない。

ところが、9月1日、仕事の傍らで目に入った選手インタビューで、パラリンピックの見方が理解できた。インタビュー序盤を見逃したので、その選手の名前は分からないが、何大会も出場して最後のレースを終えて放った言葉だったようだ。その選手は、こう言っていた。

「障害は私を定義するわけではない。障害はただの特徴だ。制約は心の中にあるだけで、自分で破れる」

 

パラリンピックは「階級別」の競争

極論すれば、五輪という大きな無差別のステージがあり、パラリンピックは特徴別に細分化された階級別の競争のようなもの、と捉えれば「優劣」という考えを意識せず、フラットに見られるのではないか。

例えば、五輪は種目によって、性別や体重で分類された中で戦う。同じように、知的障害や足の障害、という分類方法があると考える。そうであれば、五輪とパラリンピックは統合されるべきなのかも知れない。

もちろん、パラリンピックは五輪と別の歴史があり、特有の準備やルールがあることも理解している。ただ、あくまで理念としては同一のものと認識することで、今後は色眼鏡や先入観を持たずに協議を見られる気がした。

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