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大野湊神社に安宅彌吉の顕彰碑/鈴木大拙が安宅を「しまった哲学」の人と表現

金沢西警察署の隣にある大野湊神社(金沢市寺中町)を歩いていると、高さ4mほどある碑が目に入ってきた。

「こういう碑ってピンキリだからな…」。筆者の経験則によると、驚くような内容が書いてある碑もないわけではないが、たいていはよく読んでみても「…なんのこと?」と理解できない内容が多い。

そう思ってこの碑を覗いてみて、ビックリした。そこには金石出身の実業家・安宅彌吉、世界的仏教学者・鈴木大拙というビッグネームがあったからだ。

安宅彌吉と言えば、金沢市上金石町に生まれ、戦後の10大商社に数えられる総合商社「安宅産業」を興したふるさとの偉人だ。

大阪商工会議所の会頭や貴族院議員を務め、兵庫県の甲南女子学園を創立するなど、教育事業にも尽力した功績を持っている。

一方の鈴木大拙は現在の金沢市本多町に生まれた仏教学者。約100冊の著作のうち、23冊は英語で記され、世界に「禅」の考え方を広めた。

そして、実は安宅彌吉は鈴木大拙のパトロン的な存在であり、両氏には長く親交があったようだ。安宅彌吉は鈴木大拙に対して「お前は学問をやれ、俺は金儲けをして、お前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援したという逸話が残っている。

けっこう長い碑文

さて、そんな鈴木大拙が「大スポンサー」の安宅彌吉をたたえる碑文を見てみよう。

さすがに、長い。それだけ恩を感じていたということだろうか。

中身を読んで面白いのは、鈴木大拙が安宅彌吉の性格を「しまった哲学」と評しているところだ。碑文では具体的に「終わったことは追わず、いちいち悔やまず、捨てる。そして先へ進む」というような性格だと記している。

つまり「終わって〝しまった〟ことは仕方ない」みたいな気質を「しまった哲学」と表現しているようだ。

その上で、欧米で仏教や禅への関心が高まっている背景に、安宅彌吉の大きな貢献があったと感謝している。これはどういうことだろうか。つまり、自分(=鈴木大拙)が世界的な仏教学者になれたのは安宅彌吉のおかげ、ということを違う角度から見ているに過ぎないのだろうか。

また、碑文では事業に「智」と「意」が大切なところ、安宅彌吉には人間としての情感があり、人々に親しまれた、というようなことも、併せて述べている。


ひっそりとたたずむ碑文に、意外な学びがあった。

同じ金沢に生まれ、広く全国、世界で活躍した先人の生きざまに触れるため、皆さんも機を見て訪れてみてはいかがだろうか。

    1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、地元新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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