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金石は、なぜ「金石」なのか、歴史を調べてみた/中国の武将・項羽の発言に由来??

このサイトは金沢市金石の周辺を中心とした金沢ベイエリアの情報を中心に記事を発信しています。ところで、この「金石」という言葉、よくよく考えると、金沢市の「金」、石川県の「石」ですよね。

いったい、どんな由来があるのでしょう?調べてみました。

もともとは「宮腰」

金沢市金石本町にある本龍寺のホームページによると、金石エリアは古く「宮腰(みやのこし)」と呼ばれ、交通の要衝、北前船寄港地として日本海側の流通の拠点として栄えた。

なるほど、それでは「宮腰」とはどういう意味なのか。

金石町商店協同組合のウェブサイト「かないわおこし」によると、お宮さん(大野湊神社)の腰元にある地域であることに由来するらしい。

そう言えば、筆者の以前の職場に輪島市出身の「宮腰さん」がいた。宮腰という言葉、実は石川県内でメジャーな言葉なのだろうか。

試しにウェブサイト「名字由来net」で調べてみると、宮腰さんは石川県内に290人ほどおり、名字ランキングでは653位。ちなみに、漢字違いの「宮越さん」は400人ほどで475位らしい。さらに、ちなみに筆者「国分」は140人ほどで1,167位だ。

名字としてはメジャーではなさそうだが、ないわけではなく、加賀から能登まで、それなりに満遍なく分布しているようだ。

出典は中国の故事から

さて、それでは、なぜ「金石」なのか。一説によると、加賀藩13代藩主の前田斉泰が、宮腰と称した呼ばれた金石、隣町の大野の仲の悪さを懸念し、両地域を合併する際に中国の故事「金石(きんせき)の交わり」から名付けたといわれる。

この「金石の交わり」は「漢書―韓信伝」に由来する。

紀元前3世紀の終わり、項羽劉邦が天下争っていたときのこと。韓信という将軍は劉邦の部下として戦っており、項羽が韓信に寝返りを打診する際に「君は劉邦と『金石の交わり(金属や石のように堅い絆)』を結んでいるつもりだろうが…」と口説いたことに由来するらしい。

紀元前3世紀ということは、今から2500年ほど前ということだ。いや、そんなに昔まで話をさかのぼることになるとは思わなかった。

筆者の経験からしても、隣町で正確が割と似通っていると、ライバル意識から仲が悪くなる例は多い。加賀藩13代藩主はそうした性質を熟知した上で、末永く手をを携えて発展するように「金石」という名称を選んだのだろう。


合併後は宮腰を上金石、大野を下金石と称した。明治時代には大野が元の町名に戻したため、また別の名称となっている。

    1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、地元新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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