7月に開業したイオンモール白山(白山市)で、ユニクロやGUなど、開店時期を遅らせていた店も営業を始め、ついにフルオープンを迎えた。
西側の端はこれまで、広場を取り巻くように日産やブランド物を安く販売するショップがあるほか、ユニクロとGUの予定地の仮囲いがあるのみだった。だから、せっかく館がオープンしたというのに、何となく寂し気な雰囲気のある一角だった。
ここにユニクロ、GUがオープンすると、一気にモール感が出た。両店とも、店舗の広さは特別大きくないが、遅れて開けたからか、どこか新鮮な印象を醸し出している。
さて、GUは白山市役所前のユニー系商業施設「ラスパ白山」からの移転となる。
近くに路面店あるユニクロ、自社競合も?
一方のユニクロは新店。だが、実は国道8号沿いには野々市店(野々市市)がある。Googleマップによると、イオンモール白山とユニクロ野々市店は道なりに2・3キロの近さ。イオンモール白山をラスパ白山が5キロであることを考えると、その近さが分かる。
ユニクロ野々市店は幹線道路沿いで、独立した路面店なので、割と年配の客が多く見えるのは確かだ。この点、イオンモールは比較的若い層が多い印象。大雑把に分けると、棲み分けができそうだが、果たしてそこまでうまくいくものだろうか。
例えば三陽商会時代のバーバリーのように「〇〇レーベル」的な、客層や予算に合わせて複数のラインがユニクロにもあれば、両店の違いを出せそうだが…。同じグループでも、あっさり既存店を閉めたGU、残したユニクロ。ユニクロはどんな店舗づくりをし、どのように自社競合を避けるのだろうか。
Maison de CALNE は一つの商店街
1階中央ではレディースファッションや雑貨を扱う「Maison de CALNE」がオープンした。
第1印象は「広い」「面白い構造」だ。Maison(メゾン)というのは、フランス語で家や住宅を意味し、特にファッション業界ではブランド、メーカー、会社を指す。この店は扱う商品のジャンル、テーマごとに複数の半個室があり、中央にレジがある。いったん通路に出て次の半個室に入る。その繰り返し。それは「家」というよりは小さな商店街で、あちこちの店に顔を出している感覚だった。
金沢は世代間で青春の思い出の街が違う
金沢では世代ごとに青春時代を過ごした場所が異なる。今の30代以上は、ラブロ片町であり、アパレル店が集積した竪町(タテマチ)通りである。ファストフードやスイーツの店も並び、活気があった。
しかし、2006年11月、金沢駅前に金沢フォーラスができ、客も店も駅前に重心が移った。今の20代はまさにフォーラスや金沢百番街が学校帰りの寄り道場所として最もホットなエリアだった。
竪町や旧香林坊109(現香林坊東急スクエア)からテナントが駅前に流出すると、老朽化したビルは空きが目立つようになった。そのうち、兼六園や金沢21世紀美術館などの観光地、歓楽街の片町に近い立地が見直され、ホテルや簡易宿所が複数できた。
かつてストリート系の靴屋やアパレル店が並んでいた、通りの入口近辺は、時計店や宝飾店となっている。
ただ、金沢フォーラスの求心力も永遠ではない。このコロナ禍で客数が減り、テナント会社の体力が衰える中でイオンモール白山ができると、フォーラスの店を閉めてイオンモール白山に移る例が出てきたのだ。
空床が目立つようになったフォーラス
最近、フォーラスの現状を覗きに行くと、次のテナントが入るまでの一時的な準備期間の区画もあるものの、あまりに空床が目立っていた。2006年に完成して以来、週末には隣県・富山からも多数の集客を実現して「わが世の春」を謳歌してきたフォーラスにとって、ここまで空きが多い状況は初めてだろう。
もともと、車社会では、買い物に行くのに駐車場料金を支払うことへの抵抗感が根強いはず。中心部や駅前という立地は、都会とは異なり、時として弱点にもなり得る。
もしかしたら、今の10代が後年、青春を過ごした場所として思い出すのは、中心部でも駅前でもなく、イオンモール白山に移り変わってしまうのだろうか。