石川県立図書館こどもエリア「遊んで良いけど走らず、しゃべって良いけど小さな声で」の不思議ルール/開館から1年超そのまま…/書籍レビュー「コンセプトの教科書」

石川県立図書館こどもエリア「遊んで良いけど走らず、しゃべって良いけど小さな声で」の不思議ルール/開館から1年超そのまま…/書籍レビュー「コンセプトの教科書」

石川県立図書館は2022年7月のオープンから1年以上を経て、各方面で高く評価されている。喜ばしいことだし、筆者も全体に素晴らしい施設だと思うが、一方で首をかしげざるを得ない箇所もある。それが「こどもエリア」だ。

こどもエリアは一般書籍コーナーと自動ドアで区切られ、たくさんの児童書、子ども用のテーブル・イス・トイレなどが揃う。紙芝居コーナーも中庭に出る窓もある。こう書くと極めて充実したエリアのようだが、どこに疑問を感じるのか。

こういう記事を書くと「がんばる職員に失礼!気分が悪い!ムキーッ!」と勢いあるコメントをくださる方が必ず沸きます。が、筆者は常にプレイヤー個々人を非難するのではなく、歪んだ仕組みや構造の根本原因と改善策(単なる批判ではなく)を指摘しています。

問題:子どもが理解も納得もできないルール

県立図書館は自ら「楽しく本を読んだり遊んだりできる図書館」とうたっているのだが、こどもエリアを見る限り、ルールと現実が噛み合ってない。

こどもエリアの中心には、木製の大きな遊具(下の写真)がある。樹の幹みたいなところに入ると、らせん階段になっていて、そこにネットの渡り廊下があって、他の樹に至る、という感じの遊具だ。平日はもちろん、休日は多くの家族連れでにぎわう。

子どもは少しのスペースがあるだけでも嬉しそうに走り回るもの。こんな遊具を目の前にしたら大はしゃぎするのは当たり前である。実際、県立図書館も開館前、以下のように「にぎやかでOK!」「思いっきりからだを動かしてOK!」と投稿している。

ただ、現実にこの施設を利用するには大きく2つのルールが存在する。

◆「おおきなこえは だしません」

◆「はしりません」「ネットをゆらしません」

このルールを守らせるべく、数分間隔で職員が巡回して呼び掛けたり、館内放送したりしている。その真面目さには頭が下がるものの、残念ながら効果は薄い。

ルールが伝わらない理由は、次のような親子の会話例が示している。

「遊んでも良いけど、走ったらダメだよ。あと、鬼ごっこはダメ。かくれんぼもダメ。ネットは揺らしたらダメ。そして、しゃべっても良いけど、本を読んでいる人もいるから『大きな声』を出してはダメだよ。わかった?」

「公園では好きに遊べるのに、なぜ、ここではダメなの?」

「ここは図書館。本を読む場所だからね」

「じゃあ、なぜ遊具を置いたの?」

「………それは遊べる図書館っていう……」

「揺らせないネットで何をすれば良いの?かくれんぼや鬼ごっこができないなら、たとえば何ができるの?」

「……さんぽ……」

「その『大きな声』って、どれぐらいから『大きい』の?」

「……」

「石川県の子どもは遊具を見ても走らず、ネットを見ても揺らさず、かくれんぼも鬼ごっこもせず、小声で落ち着きはらい、ただただ遊具の中を整列して歩くだろう、と想定してるの?そんな子ども、見たことある?」

「……」

ここまで指摘する子どもはいないが、言語化できないだけで、同じベクトルの疑問は持っているだろう。筆者が我が子に説明しても、他の子のようすを見ていても、表情には「?」が浮かぶ。子どもは「大人による都合の良い理屈」に鋭いものだ。

原則:子どもへの注意は短い言葉で

そもそも、子どもはアクセルとブレーキをちょこちょこ交互に踏む器用な運転が難しい。だから、親は短い言葉で注意する。公園では「ケガしたり、させたりしないように」。図書館(幼児コーナー除く)では「静かにして、しゃべらないように」。

この点、県立図書館のルールは「けど」が多すぎるし、また「大きな声」「走る」など解釈次第のグレーゾーンが広い。大人が見ても矛盾する複雑な世界観の中、子どもが上の赤字部分の「想定された行動」「期待された行動」をとれるはずがないと思う。

「いや『はしりません』は十分に短い注意だろ」と憤る方がおられるかも知れない。でも、それが意味するところを図書館側の言葉を借りて言うと「思いっきりからだを動かしてOKだけど、はしりません」ということになる。どういうこと?

必ずしも納得できないことを割り切って行動に移せるようになるのを「大人になる」と表現する。そんな言葉があるくらいなのに、子ども自身が納得できないルールを守らせるのは、子どもにとっても、親にとっても、職員にとっても無理ゲーと言わざるを得ない。

補足すると、筆者はルールを設けてはいけない、と言っているわけではない。後述のように、公共施設ならば最小限の一般的な内容のルールで成り立つようにすべき、と主張したい。

提言:ゾーンを2つに分けるべき

そうした不思議なルールができたのももちろん、ルールと現実が合致し得ないのは明らかなのに、そのまま1年以上が経過して仕組みが変わらないのは、もっと不思議である。

誰も言わないから言うが、筆者が考える最も現実的で実効的な改善策は「思いっきり動いて声も出して、好きに過ごして良いゾーン」「静かに集中して読むゾーン」を明確に分けることだ。

理由は後述するが、水と油を同じ鍋で火にかけるから無理が生じる。「こどもエリア」を2つの異なる性格のゾーンに分けよう、という提言だ。幸い、既に扉で区切られたゾーンが存在するので、その構造を活用すれば実現できるだろう。

もっとも、他にもドライで抜本的な対策はある。①遊具を撤去し、一般的な図書館にする②年齢制限するーーー。ただ、いずれも新しい県立図書館の存在意義を侵すので、やはり2ゾーンに分けるのがベストだと思う。

批判①「しつけが親の仕事だろ」

このように主張すると、必ず「いやいやいやいや、パパさんよ、しつけるのが親の仕事だろ。責任を放棄するな!ウキーッ!」という、ありがたい意見をいただく。

が、完全に的外れ。いま論じているのは、不特定多数の子どもを受け入れる公共施設としての「あり方」の話。子育ての考え方は家庭により異なる。社会常識や「べき論」はあれど、全ての家庭にそれを押し付けることはできない。

家庭環境や年齢がバラバラな子どもたちを分け隔てなく受容し、学びの環境を提供する公立図書館だからこそ、ルールは簡潔にしなきゃいけない、という話をしている。各家庭の子育て論に矮小化しては何も解決しない。

批判②「ケガしたら、どう責任とる」

筆者が実際に言われて理解できなかったのが「ケガしたら、どう責任とるのか」という批判。これは逆に、家庭の責任を施設に押し付けようという意図を感じるが、回答はこうだ。

我が子がケガさせたなら相手に謝る。ケガした側なら次から気を付けるよう言う。以上。

質問者は愛する子どもに傷がつかないよう、核シェルター内で外界と遮断して育ててるんだろうか。もしくは、アクシデントがあったら何が何でも他人の責任を追及するのが普通だと考えているのだろうか。

公園で遊んでる子ども同士がぶつかったら、公道を走る車同士がぶつかったら、まず行政を責めるの?勘弁してよ。誰も何もできなくなる。そういう親がいるから、施設側は意味不明なルールを設けなきゃいけなくなるんだよ。

批判③「嫌なら行くな」

「嫌なら行くな」。はい、はい。

根本原因:現実離れしたコンセプト

さて、こうして「問題→提言→批判への回答」と進み、あらためて感じるのは「こどもエリア」が現実離れしたコンセプトで全体が設計されたため、誰にとっても中途半端で使いにくい場所になった、ということだ。

正反対の言葉が並ぶのは美しいが…

いま一度チラシの写真を掲載する。

「楽しく本を読んだり遊んだりできる図書館」とある。だが、少なくとも子どもにとっての「読む」「遊ぶ」は、いわば「静」と「動」のように正反対に近い。

コピーライティングの世界では、反対の言葉を組み合わせると印象的な一文ができると言われる。「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩」のように。

でも、これは表現として美しいというだけ。現実世界に当てはめた際、うまくいくと限らないのは上述の通りだ。

名詞ではなく動詞で考える

ここで1冊の書籍をオススメしたい。「コンセプトの教科書」である。

筆者が最も「なるほど」と膝を打った箇所が、今回の件に応用できそうだ。それは「コンセプトを考える時は、名詞ではなく、動詞で考えるべき」という部分である。

いわく「名詞で発想すると、固定観念に縛られ、モノに焦点が当たる。動詞で考えると、主人公がヒトになり、行動に焦点が当たる」らしい。

今回の件に当てはめる。「図書館」という動かせない前提条件にそのまま正反対の機能を追加すると、旧来型の図書館的な性質と整合性がとれなくなる。だから、運営する上で大人に都合の良い辻褄合わせのルールを設けないといけない。

本来求められた「問い」は、コレ

本来、問うべきは「すべての子どもに読書と遊びをシームレスに楽しんでもらうためにはどうしたら良いか?」だった。

つまり「一風変わった図書館」「遊べる図書館」を作るのではなく、本と遊具をフックに子どもが自由にのびのび過ごせる空間を新たにデザインすべきだったと思う。

そう考えると、同じ空間に書籍と遊具を混ぜて配置する方向性は間違っていない。だが、上述の通り「読む」「遊ぶ」は静と動の関係にある。それを融合させる時は「静が0%、動が100%」になることも織り込まないといけない。

その上で、どうしても「静」を守りたいなら、ルールで行動を縛って人為的に「静」をつくりだそうとするのではなく、専用の空間を設けた方が子どもも、親も、そして職員もストレスなく無理なく運営できるのではないか。

願望:子どもに「けど」を言わない施設に

とまあ、いろいろ書いたが、もちろん図書館員を責めているわけでも、親を責めているわけでもない。「悪法も法」だから、当然ルールは守らなければいけないのだけれど、一方で「悪法」が現実に合致していないなら、やはり積極的に改正すべきだ。

石川県立図書館の存在は、地域にとってとても貴重なものだと思っている。それだけに、いずれ、子どもに「…けど」「…けど」「…けど」と注文をつけず、分かりやすい最小限のルールの下で自由に過ごしてもらえる施設になってほしいなあ。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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