「金沢まちなかキャンパス構想」が始動/片町に近隣11大学が共同整備/金沢大学移転から35年、再び市街地に学生を

「金沢まちなかキャンパス構想」が始動/片町に近隣11大学が共同整備/金沢大学移転から35年、再び市街地に学生を

4月1日ということで、真顔で恥ずかしげもなく妄想記事を公表。悪しからず。

かつて「学都」と称された金沢市の旧市街地に大学が戻ってくる。近郊の諸大学が片町に共同の学び舎を設ける「金沢まちなかキャンパス構想」を始動させることになった。市街地を実践的な学び場として活用し、金沢ならではの学生生活を実現する。2030年4月1日の完成を予定している。

構想の核になるのは国道157号の香林坊交差点と片町一丁目交差点に挟まれた東西のエリアで、それぞれ「片町四番組海側地区」「片町四番組山側地区」という名前で再開発される予定となっている。

以下で「片町」と記述する場合は飲み屋街としての片町ではなく、片町きらら(旧ラブロ片町)あたりから北のエリアを指しているとお考えください。

赤色のエリアのうち左側が「片町四番組海側地区」、右側が「片町四番組山側地区」

再開発では海側、山側とも区域いっぱいに造った3階建ての建物をベースに、一部を高層とする設計を採用する。海側の高層部分はホテル、山側の高層部分は分譲マンション棟と学生マンション棟。ともに地階も設ける。

構想に合わせ、金沢大学、石川県立大学、金沢美術工芸大学、金沢医科大学、金沢学院大学、かなざわ食マネジメント専門職大学、金沢工業大学、金沢星稜大学、金城大学、北陸学院大学、北陸大学の11大学が合同で新会社「学都かなざわ」を設立した。

この新会社が両再開発ビルの1~3階と地階の全てを賃借し、大学横断型のキャンパスを整備する。キャンパスは24時間体制で運営し、ここで履修した授業は各大学において正式な単位として認められるようにする。

とりあえず、どこにでもある小綺麗なだけで際立った特徴のない再開発ビルにならなくて良かった。

アートで保育、栄養あるスポーツマン向け本格料理

11大学が連携するメリットは何か。

参加大学には経済や経営、工学、医学などに加え、美術、食・栄養、幼児教育、スポーツなどの特色ある専攻科がある。新キャンパスは学生がこれら多様な専攻で得た知見を持ち寄って組み合わせ、新たな気付きを得られる場として活用する。

たとえば、南町や香林坊で働く人の子どもを預かる保育室をつくり、油絵専攻の学生と幼児教育を専攻する学生が組んで幼児が本格アートを体験できる環境をつくる。栄養学を専攻する学生とスポーツ学科の学生がスポーツマン向けのメニューを考案し、本格的な料理を学ぶ学生がブラッシュアップして片町にあるレストランで提供する。

経済学や経営学を専攻する学生であれば、実際に周辺の店に出て新商品やPR手法を企画し、やってみる。デザイン的な要素が必要なら、美大生に手を借りる。学生だけの空間として内に閉じるのではなく、大学や学生同士はもちろん、それらと地元企業、近隣商店、周辺住民が出会う場として機能することを目指す。

1階は全市民が楽しめる図書館&カフェ

建物の構造は海側、山側とも1階を市民開放型の図書館とする。

ただ、役割は海側と山側で分ける。山側は大人や高校生が静かに本を読んだり勉強したりできる「静謐さ」を重視したゾーン。金沢21世紀美術館の近くにあった石川県立図書館は小立野へ移転しており、周辺住民は代替施設として重宝するだろう。

一方、海側は子どもが遊んだり、カフェでくつろぎながら会話したりできる「賑やかしさ」を重視したゾーンとする。

2、3階には教室が並ぶ。と言っても座学用の「講義室」ではなく、調理室、ミーティングルーム、アトリエのような空間を多数つくる。海側と山側は空中通路で結ぶ。

山側の地下にはイベントに使えるホールや学生が運営する飲食店を置く。海側の地下は学生のアート作品を展示販売するギャラリーとする。

ある新聞社が(何かの弾みで昭和の巨大都市と現代の金沢を混同したと思われるが)金沢の喫緊の課題は「ヒートアイランド対策」で、都市に潤いをプラスするため緑地を増やせと社説で主張してたので、再開発ビルの屋上は緑化して文句を言わせない。やたら人工的に整った空間ではなく、金沢市中から引っこ抜いてきた植物をランダムに植え、それをかき分けて散策する現代版都市型雑木林「zoki」と称する。

【現状】わざわざ行かない街

計画概要に次いで、キャンパス構想が生まれた背景を解説する。

香林坊・片町は今、街全体の活気が日増しに失われている。地価の県内最高地点はかなり前に金沢駅前へ移った。今なおビルの1階にはハイブランドが軒を連ねるが、特に平日は人通りの少なさとのギャップが逆に不気味なオーラを醸し出している。

このエリアを一言で表現すると「行く目的のなくなった街」。古い百貨店、半端な商業ビル、シャッター、緑地、普段は無用のブランドショップ、シャッター…。このラインナップを見て「仕事(学校)が終わったら、コインパーキングかバスを利用して(=課金してまで)香林坊・片町へ繰り出そう」と思えるだろうか。

階段の先にあるトイレ

「歴史ある、いつまでも変わらぬ街並み」と言われると、何だか素敵な街の姿のように聞こえる。筆者もそう思っていた。しかし、父親になってベビーカーを押して香林坊・片町を歩いて気付いたのは、あまりに段差や斜面が多くて移動しにくいということだった。

建物の構造が「横長」のイオンモールに慣れると、市街地にある「縦長(多層階)」のビルは買い回るために5回も10回もエレベーターに乗る必要があり、不便というより苦痛を感じる。

ある商業ビルではトイレがいちいち階段の先の「中2階」「中3階」にある。ここまで来ると「ユニバーサルデザイン?バリアフリー?何それ?」みたいな潔さすら感じる。

筆者は幼少期に香林坊でたくさんの思い出を得た。その筆者が父親として香林坊に寄り付かなくなると、筆者の子どもは「香林坊に行く」という選択肢を持たなくなる。実際、香林坊に住む筆者の知人(シニア)が野々市に住む孫に言われたそうだ。「じいちゃん、香林坊ってどこ?」

【過去】出掛ける理由があった

香林坊や片町というのはもともと北陸の中心地だった。たとえば、映画館やスポーツ施設、娯楽施設、華の百貨店、県立図書館があり、神社の境内でサーカスもやったらしい。竪町には珍しいアパレル店が並んだ。金沢市役所に加えて石川県庁もあり、金沢城の中には金沢大学があった。

人々は買い物や娯楽、出勤、通学といった理由の下で香林坊や片町を訪れていた。筆者の記憶ではバス路線も以前は香林坊乗り換えが多かったように思う。

ところが、県庁や金沢大学は移転し、オフィスは金沢駅周辺へ流出した。小売店は金沢フォーラスやイオンモールに移転したり、それら新施設の影響で閉店したりした。映画館やスポーツ施設はなくなり、県立図書館も移転。つまり、人々が香林坊・片町に来ていた理由はことごとく消えてしまった。

【現在】「学都」? 笑わせないで

金沢のことを未だ「学都」と称する人たちがいる。その根拠は一様に「人口当たりの学生数が日本で上から……」だ。

しかし、金沢にある大学は多くが郊外に立地する。金沢大学や金沢美術工芸大学は割と街に近いものの、他は人口の少ないエリアにあるため、多くの金沢市民にとって学生は身近な存在ではない。

県外から来た学生は山あいにある大学の近くにアパートを借りる。近所のコンビニやドラッグストアで夕飯を買い、ネットでモノを購入し、4年後に実家や都会へ移る。その証拠として石川県内に大きな「学生街」は無い。金沢工業大学周辺はそんな雰囲気もゼロではないが、あそこは野々市市だ。

どこが「学都」なのか。人数が多ければ、それだけで「都」?。

上記の状況を踏まえ、香林坊・片町の再生を考えると、1つのアイデアとして、学生が街を行き交う環境をつくって本当の意味での「学都」を実現するという方向性が出てくる。

大学は(特に文系や上の学年は)授業がぎゅうぎゅう詰めになるわけではない。「月曜に履修している授業は1時限目と4時限目なので、4時間空く」という調子。聞くところによると、人里離れたキャンパスの学生は空き時間を持て余しているが、学校外に出ても戻ってくるのも億劫なので、学校内で時間を潰すものらしい。

学校と家(とバイト先)の往復で大学生活が終わる勢いだ。

学生は、いるだけでいい

この点、香林坊で授業があれば、学生は普段の生活圏を出ざるを得ない。いつもと違う環境で、いつもと違う仲間と学ぶ経験は、若者にとって意義深いだろう。まして、それが机上の空論ではなく、実際に近所の店舗や住民と検証できるなら。

学校側も、子どもが減って学生争奪戦が激しくなる時に、横のつながりを強めて地域連携で多様なカリキュラムをそろえることはマイナスにならないはず。

一方、香林坊・片町エリアにとってのメリットは「何となく良い感じになる」ことだ。

思うに、今の香林坊・片町エリアの問題点は、時代の変化に取り残され、でもプライドは捨てられず、何だかんだと言い訳しながら既存顧客の加齢とともに街が老いているという点にある。

この点、金沢大学や金沢工業大学周辺の街並みを見て「街が老いている」と感じる人はいるだろうか?もちろん、個別には古さが目立つ建物もあるが、街全体としては「何となく華やか」な感じがしないだろうか?

大学というのは「ずっと20歳前後の若者がいる特異な場所」。38歳の筆者はまだ若いつもりだけど、それでも20歳前後の人を見ると「若いって、それだけで華があるなあ」と思う。常に若い人が歩いている明るい「雰囲気」こそが、その昔、竪町や片町を華やかにしていた原動力ではなかったか。

そう筆者が力説すると、ある片町エリアの商売人が不満気に言った。「学生は金にならないから」

まず、この「金沢まちなかキャンパス構想」は、学生を金づるとして当てにしているわけではない。香林坊・片町エリアに「行く理由」がなくなっている現状を踏まえ、反転攻勢の起爆剤として街の空気感を変えるのが狙い。その最大の呼び水が学生というわけだ。

少し以前の香林坊・片町エリアを知る人が久しぶりに街を訪れると、随分と若者が減ったことに驚くだろう。平日は旅行客を除けばシニアばかり。ここに20歳前後の若者が何割か混じるだけで、街の雰囲気は大きく変わるはず。


「街」というのは、そもそも雑多であることに価値があると思う。いろんな年代の、いろんな経歴・考え方の人が行き交い、いろんな商売が花開き、その組み合わせで新たな文化が生まれ…という連鎖が活気を生む。

若者が直接的に金にならなくても、活力ある街は幅広い人間を惹きつける。その前後の世代を街に呼び戻し、それがまた前後の世代を呼び戻し…そうした循環の中、結果として「金になる」ような状況が自然と生まれる。

むしろ「すぐに金になる」ものに飛びつくのは危険ですらある。例えば安易に「東京で流行りの…」「本場ニューヨークで人気の…」みたいな店を誘致しても、3カ月ほど行列ができ、1年後には閉店するのが関の山。

高校時代に100mを10秒で走れた人も、いったん運動をやめて太ってしまったら、まずはタイム以前に100mを一気に疾走できるようになるところから始めないと。

何十年もかけて衰退したものを、急にV字回復させることなんてできない。まずは小さな反転。そして持続的な上昇。その第一歩として大学横断型キャンパスを設けるという取り組みを、強く支持したい(まあ、全て妄想だけど。長文へのお付き合い、ありがとうございました)。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、地元新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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