福井県伝統のカツ丼は卵でとじられていない。
当地で「カツ丼」と言えば、白ご飯の上にカツが乗り、それにソースをかけた「ソースカツ丼」を指す(もちろん、今はチェーンの「かつや」など卵でとじる店もある)。
このソースカツ丼、実は100年超の歴史がある。
福井県観光連盟のホームページなどによると、ソースカツ丼の歴史には諸説あるが、高畠増太郎が1913(大正2)年、ご飯、カツ、ドイツ仕込みのウスターソースを日本人向けにして使ったソースカツ丼を東京の料理発表会に出したのが直接の起源となる。
高畠は1907~12年にドイツのベルリンで調理を学んだ。そうした経緯から、1913年、東京都早稲田鶴巻町に「ヨーロッパ軒」という屋号の洋食店をオープンさせた。
その後、神奈川県横須賀市にも出店したそうなので、反響は良かったのだろう。ところが、1923年に関東大震災が発生し、東京のヨーロッパ軒の総本店が倒壊する。
そこで高畠は故郷の福井に帰った。そして1924年、片町通りに福井の「ヨーロッパ軒」のオープンに至る。
つまり、考案者が福井県人なのは確かだが、発祥の地は東京・早稲田だった。それが関東大震災があったために、たまたま福井に上陸して当地に根付いて名物になったということだ。
卵とじタイプと逆転も有り得た??
一方、ソースカツ丼に遅れること9年。1922年の東京では、卵でとじたタイプのカツ丼も考案された。
ということは、震災がなければ①先発のソースカツ丼が東京で市民権を得てスタンダードになり、現代に後発の卵とじタイプは存在していなかった可能性もある。逆に②ソースカツ丼が福井に来ていなければ卵とじタイプに駆逐され、現代までに途絶えていた可能性もある。
そんな「たられば」を言うとキリがない。少なくとも言えるのは、北陸に住む私たちには、ソースも卵とじも両方を気軽に食べられる幸運な環境がある、ということだ。
先日、福井県立恐竜博物館を訪れた際、昼食は久しぶりにソースカツ丼を食べようと心に決めていた。インターネット上では、同博物館近くにある「グリルやまだ」「勝食」といった店の評価が高かったので、楽しみにしていた。
ところが、幸か不幸か、11時に入館した同博物館を2人の子どもが気に入り、滞在時間は想定を大幅に上回って3時間に。14時を過ぎると、上記2店はランチ営業を終えて休憩時間に入ってしまっていた。
「のれん分け」で店舗増
そこで思い出したのが、福井市の総本店に何度か足を運んだことのあるヨーロッパ軒。調べると、福井県内に19店あり、博物館に近い坂井市丸岡町に「丸岡分店」がある。しかも、土曜はランチからディナーまで、休憩なく営業していた。
14時台なので混雑はしていないが、ポツポツと客が出入りしている。畳敷きの小上がり席があり、子どもには、おもちゃをくれる。飾らず、気取らず、心地よい空気感。
ソースカツ丼が観光客向けに名物としてPRされることも多い中、注目すべきは丸岡分店の箸袋である。場所は番地ではなく「丸岡消防署西側」、電話番号には市外局番なし。完全に地元住民の方を向いていて、逆に好感が持てる。
ちなみに、代金はカツ3枚の並盛が930円。カツ丼以外にハンバーグやカレーライスもあるにはある。
ところで「分店」とは何か。
若い女性の店員さんに「フランチャイズですか?」と聞くと「そんな感じです」とのこと。ヨーロッパ軒のホームページには「昭和14年敦賀分店をノレン分け第1号店として開店以来、優秀な料理人にノレン分けを…」との記述があった。
なるほど、だから家族経営の定食屋のようにアットホームな雰囲気があったのか。もしかしたら「若い女性の店員さん」は店主の娘だったか。
国道8号に近く、車でのアクセスは良いので、周辺に行った際は、ぜひお立ち寄りを。