※この記事には特定の政党への支持を呼び掛ける趣旨はありません。
選挙のポスターを見て笑ったのは初めてかも知れない。
現在(2022年7月1日)、世の中は参議院議員選挙期間中だが、石川県選挙区は勝負が見えていて盛り上がらない。そんな中、例外的に注目したのがNHK党の候補者のポスター。顔写真の真下に来る文言に
「私の当選は無理です」
とあり、目を疑った。いやいやいや、何を言ってるんだ、じゃあ選挙なんか出るなよ、と思って読み進めると、意外に(?)考えさせられる内容だった。
続く文言は「あなたの1票で約250円、選挙区と比例区の2票で約500円の政党助成金がNHK党に交付されます」。感銘を受けたのは、この部分だ。
選挙のライバルはラーメン?
選挙期、選挙管理委員会やマスコミは「選挙に行こう」と呼び掛ける。「国民の権利を行使しよう」「若者が行かないと高齢者寄りの政策だけになる」と言うが、これほど響かない言葉もなかなかない。
なぜか。人間の想像力は限られている。あまりに大きく、自分から遠い存在は「自分ごと」と捉えられない。
「温暖化で南極の氷が融ける」「島国が水没する」と聞くと「それは大変」と思いながら、冷房でキンキンに冷えた部屋にいる。ウクライナの惨状を伝えるニュース番組で心を痛めた数分後に、お笑い番組を楽しむ(それが悪いとは言わない)。
選挙も同じ。情報が氾濫する中に生き、関心のある世界へ瞬時にアクセスできる環境に慣れた若者にとって、国民の権利どうこうの話は想像力の範囲を超え、近くにできたラーメン店の口コミの方が関心度の上位にくる。
さらに、数十万票が投じられる選挙では、1票の価値を意識しにくい。
だから、若者を取り込むには、選挙の話題が「自分ごと」とイメージさせ、自分の1票が影響力を持つと意識させないといけない。「投票に行こう」一辺倒では、的の無い方向に弾を打ち続けるようなものだ。
NHK党のポスターは「あなたの1票は私たちの活動資金250円に変わる」と細かな例に落とし込んだ。良し悪しはともかく、1票の価値を数字化した世界観で、投票は「手間と引き換えに、好みの政党に国庫から250円を贈る」行為と言える。ここまで具体的になると、少なくとも「他人ごと」の域は出そうである。
勝てなくても、勝ち?
さらに言えば、件のポスターは、選挙が当選者と落選者を分かつだけでなく「落選しても勝ったと言える」イベントだということを示唆するように思う。仮に候補者が落選しても、一定の票を集めれば、活動資金を確保できるなら「負け」ではないのだ。
まさに「弱者」としての生存戦略と言えるかも知れない。体の小さな子どもが最初からホームランバッターを目指さず、バントや走塁の技術を磨き、気付くと下位打線ながらレギュラーに定着しているような状況か。
「私たちに1票を入れて当選させて」ではなく「投票を通じ、後発の私たちの活動を応援してほしい」と呼び掛ける。面白いのは、これが選挙の見せ方を変えただけ、ということ。
だからと言ってNHK党に投票するかどうかは別だが、一有権者としては、開票日が「誰が受かるか」という単一の焦点だけでなくなった点には感謝したい。