ユニクロは客に声を掛けない/学生バイトの思い出㊦

2021年8月23日

衣料品店に入ると、すかさず近付いてきたスタッフが笑顔で言う。

「ご試着もできますので~」。知っている。生まれて初めて服屋に来たわけではない。大概の服屋に試着室があることぐらい心得ている。

「今日は、どういった物をお探しですか?」。特定の物を探している時しか来てはいけないのか。ふらりと立ち寄ってはダメなのか。

(出典・ユニクロ公式ホームページ)

「気になる物、ございましたぁ~?」。いま店に入ったばかりで何も見ていない。早くも気になる対象が唯一あるとすれば、それはアナタの語尾の伸ばし方だ。

控えめな日本人客は、よほどファッションに知見のある人を除けば、こうした接客に苦手意識を持つ人は多いのではないだろうか。それなのに、なぜ揃いも揃って同じスタンスの接客なのか理解できない。

この点、ユニクロでは基本的に客から声を掛けられるまで、スタッフ側からは声を掛けないことを教えられた。

「基本的に」というのは、あまりに両手にたくさんの商品を抱えている客がいればカゴを勧めるとか、高所にある商品に手が届かずに困っている客がいれば脚立を使って取って渡す、などの場面は例外ということ。

つまり、冒頭の店にあるような、過度に客の間合いに入っていく接客とは正反対で、敢えて客との距離をとり、一見すれば消極的なよ接客姿勢をとっているのだ。

声はかけないが、常に近くにいる

そうした接客姿勢の下では、客は急かされることなく自由に店内を見て回れる。

ここでのポイントは、エリアごと時間ごとに担当スタッフを配置していることだったと思う。常にそれぞれのエリアにスタッフが誰かしらいて、客は聞きたいことがあって視線を上げると、すぐにスタッフの姿が目に入るようにしていた。スタッフは接客時以外、客の動向に気を配りつつ、エリア内を周遊し、棚や床を整えることに全力を注ぐ。

客からの問い合わせに対応するために持ち場を離れる際は、インカム(耳に付けるトランシーバーのようなもの)でその旨を伝えた。すると、隣接エリアのスタッフが自分の担当エリアに加え、離れたスタッフの持ち場も見える位置に動く。極めてシステマチックに動く仕組みになっていたのには感心した。

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システマチックな有人レジ時代

今やユニクロの店舗はセルフレジばかりになり、例えば5台のレジに対して担当者が1、2人で運用できるようになった。

これが10年前は有人レジしかなかった。このレジの仕組みがまたシステマチックで、就職後、何人かの経営者に話のネタとして披露すると、必ず驚かれる精緻さなのだ。

当時は例えば8つのレジがあれば、あらかじめ8人以上のスタッフに対し、レジに入る順番を割り振っていた。客の少ない時間は1番スタッフだけがレジにいて、レジ業務の合間に値札の張替えなどの雑務をこなす。

レジに客が来て1番スタッフがレジに入っている最中に、さらにレジ待ちの客が来たら、レジ近くのエリアを割り振られていた2番スタッフがインカムで「2番レジ入ります」と伝え、レジに回る。すると、3番スタッフ以降は自分の持ち場からレジ側に1つずつズレる。

その繰り返しで、最終的に8人がレジに入るようになる。もともと店長をはじめ正社員やバイトリーダー的な人はフリーな立場なので、レジがあまりに混んでいればレジの手助けに入ったり、スタッフみんながレジに回ってしまうと、店内の見回りに出たりする。

そして、レジが空いてきたら、順次、元の持ち場に戻っていく。

カゴの中身次第でレジ交代

また、有人レジ時代に特有の気配りとして、買い物カゴの中身によってはレジを交代するというものがあった。

このオペレーションが発動されるのは、主に女性客が下着をレジに持って来た時だ。「女性は自分が身に着ける下着を見知らぬ男性に触らせるのは嫌だろう」という配慮の賜物である。

常にできるオペレーションではないが、複数のスタッフがレジに入っているタイミングでカゴに下着を入れた女性客が来ると、さりげなく男性スタッフと女性スタッフが交代するように教育されていた。筆者は男性なので、こうした配慮がどの程度ありがたいものなのか、理解はできない。しかし、ないよりはあった方が良いのは分かる。こうした細やかな配慮まで有形、無形のマニュアルになっている点に、当時も今も、ユニクロの強さを感じている。

ユニクロに対してはウイグル問題もあるし、そもそも準社員という形態自体がどうなのか、という考えもないわけではない。しかし、たった半年間のバイトではあったが、どういった視点で自分たちを見つめ、工夫し、そしてどんな価値を提供できるかを考え、それを隅々のスタッフまでが理解できるように落とし込む、という作業の積み重ねが、日本発の世界的企業を作ったのだと実感できた。今も大きな財産である。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、地元新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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