志賀町・富来鉱山の金鉱脈は日本海の拡大に伴って形成 / 北陸電力と金沢大学の共同研究グループが解明

志賀町・富来鉱山の金鉱脈は日本海の拡大に伴って形成 / 北陸電力と金沢大学の共同研究グループが解明

2022年8月17日

サムネイル画像は「鉱山」のイメージで、本文と直接の関係はありません。

北陸電力と金沢大学は2022年8月17日、同社と同大理工研究域地球社会基盤学系の濵田麻希助教,平松良浩教授,環日本海域環境研究センターの長谷部徳子教授による共同研究グループが、志賀町内にあった「富来鉱山」の金鉱脈が約 1760 万年前の日本海の拡大に伴って形成されたと解明したと発表した

筆者は新聞社時代の経験則から、こうした研究発表案件の多くが一般人目線で「だから何?」という類だと知っている。今回も、その1つであり、この記事の多くは発表文の抜粋に近いことを了承いただきたい。

志賀町の巌門

(研究の意味を否定するのではなく、あくまで一般人としては研究の意義があるのかが分かりにくいということ)

発表によると、富来鉱山の中から、金や銀を含む合金などの鉱物が見つかった。これらは金や銀の鉱石として採取されていたと考えられる。他に世界で2例目の「セレンに富むピアース鉱」というのも見つかったらしい(ちなみに国内では初めてらしい)。

年代測定の結果、金鉱脈は1768万年前ぐらいにできたと分かり、2100万~1350万年前に日本海が拡大した時期に形成されたことが分かったという。

発表文では今回の研究結果が、日本列島ができて以降、日本海側の鉱山や能登半島で起きた地質イベントの詳細を明らかにするヒントになると説明している。

ところで「富来鉱山」って何?

そもそも、恥ずかしながら筆者は「富来鉱山」なるものを初めて聞いた。皆さんはご存じなのだろうか?

インターネットで調べると、鉱山は「志賀町富来生神(しかまち・とぎ・うるかみ)」という住所にあったらしい。

そして「廃墟検索地図」というウェブサイトによると、鉱山の沿革は以下の通り。

1905年、金鉱脈を発見(サイトは近鉱脈」となっているが、誤字とみられるので修正)

1910年、三菱合資会社富来鉱山として操業を開始。金・銀が採掘された

1921年、閉山

足掛け12年しか採掘されていないあたり、素人ながら勝手に察するに、埋蔵量が少なかったのか、質がイマイチだったのだろうか。機会があれば調べてみたい。

実は観光地化の議論も…

ところで「廃墟検索地図」には、気になる表記があった。

跡地の観光地化計画があったが、費用対効果が見込めず断念された旨、2018年に報道

そこで、志賀町議会の記録を調べてみた。

2018年1月の「議会だより」によると、2017年の12月議会では鉱山の観光地化について問うた議員に対し、町側は現地や資料の調査を進め、観光資源としての活用策を検討していく旨を答弁している。

ところが、その数カ月後に観光地化は白紙になったようだ。2018年の12月議会では、議員側の発言に「2018年6月の町議会全員協議会で観光開発しないことが表明された」という事実が出てくる。なぜか、同年10月になって「観光地化を断念する」との報道も出たそうだ。

この間の経緯はインターネットで検索するだけで見つからない。町側は2018年12月議会で、2017年度に数十カ所の坑道口や試掘跡、精錬所跡地を調査し、採掘会社から資料を借りてコピーの作成やデジタル化を進めており、町の図書館で展示したい旨を答弁している…。


今回はここまで。う~ん、現状は謎が多い。何だか面白そうなテーマだから、志賀町に行く機会があれば展示物を調べてみようか。詳しい方がおられたら、いろいろ教えてください。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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