園児置き去りバス事故、あってはならないが、ミスはゼロにならない/大切なのはミス補う多重対策

園児置き去りバス事故、あってはならないが、ミスはゼロにならない/大切なのはミス補う多重対策

静岡県で園児が通園バスに置き去りになって死亡した事故を受け、北陸のテレビ局も地元幼保施設に対策を取材している。それを見ると「確認を徹底する」と自信満々に語る園長もいるが、能天気極まりないと映る。いまだ静岡の事故を他人事と捉えているように見え、園児2人を抱える父親として不安に駆られている。


そもそも人為ミスはなくならない。もちろん、なるべく少なく抑えなければならないが、それでも決してゼロにならないのは、鉄道事故や航空事故、医療事故を見れば分かる。あれだけ大きな組織の賢い人たちが対策しても、人間が介在する限りミスは起こる。

以下に記す筆者の主張を一言で要約するなら「間違いが起こる前提で、何重にも対策を講じて致命的な事態を避けよう」ということだ。

読み合わせ、ダブルチェックは時間のムダ

「確認を徹底」が、なぜ能天気だと思うのか。簡単に言えば、それは「対策すること」が目的化しやすいからだ。

筆者が働いた新聞社では「読み合わせ」といって2人1組で原稿に誤りがないか確認したり、また「ダブルチェック」といって取材資料を隣の記者に渡して誤字脱字や事実関係を見たりしてもらうのが、ミスを防ぐ方策として正しいとされていた。

ところが、これは効果が薄い。その証拠に、紙面には定期的に「訂正」が載るし、そうならなくても、読んでいて間違いに気付くことは少なくない。

当然、基本的には正確な箇所ばかりなので、ルーティン化すると「間違ってないはず」という先入観で取り組みがち。しかも、隣席で懸命に記事を書いている同僚を見ている手前、チェック時に何か違和感があっても「あんま細かいこと言うのもなあ…」と甘くなる。

最悪なのは、記事を書いた人が「同僚のAさんと協力して所定の対策は実行していた」と言えること。それを聞いた上司は「やることやったんなら仕方ないか」と考える。

・「対策は実行した」と言える記者本人

・所詮は「他人事」と捉え、形だけ付き合う同僚A

・部下が社内ルールに基づいていたことで胸をなでおろす上司

こうして全員が形式を整えることに終始し、責任の所在が曖昧になる。結果として作成される始末書は「以後、確認を徹底する」一辺倒。そして、今日も「訂正」が載る。

あまりに時間のムダなので、筆者は記者時代の後半、ダブルチェックをしなかった。ティッシュは10枚重ねても、水をかければ破れる。無責任な数人で確認するより、全て自分の責任で腰を据えて臨む方が良い。

ミスに気付ける状況を たくさん設ける

それでも、ミスの芽は顔を出す。

通園バスの場合、車内を何度も確認するのは大切だが、人間である以上、数え間違いや見間違いはある。ましてルーティン化すると「全員そろったはず」という先入観が働く。そこで講じるべき対策は何だろうか。例えば

① 園児には仮に置き去りになったらクラクションを鳴らすよう伝えるだけでなく、クラクションの動作を体で覚えるまで何度も訓練する(⇒園児が自分で自分を助ける)

② 日中に駐停車している時は窓を開けっぱなしにする決まりを作る(⇒車内温度の急な上下を緩和する+周囲の人が園児の声に気付く)

③ 園児が識別カードをタッチして乗り込み、タッチして降りるシステムを設け、車内に誰がいるか分かるようにする(⇒機械の力で把握する)

あたりか。

こうしたベクトルの異なる対策を何重にも施す。特に人命に関わる話なら、確認徹底という半ば根性論で済ませず、できることを多方面から見直し続ける必要がある。

いつかミスが起こっても、悲劇には至らないように。

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