石川県立図書館「はしゃげない遊具」への違和感ツイートが好評/一方、やはり来た「ぶつかったらどうする」批判

石川県立図書館「はしゃげない遊具」への違和感ツイートが好評/一方、やはり来た「ぶつかったらどうする」批判

先日、石川県立図書館について書いたツイートに、多くの賛意が寄せられている。内容は以下の通りで、こどもエリア内の「はしゃげない遊具」という矛盾を解消するためルールを見直したら?という内容だ。

そもそも「遊具」って、はしゃぐ対象でしょ?

そもそも、遊具は子どもを夢中にするように作ってある。だから、遊具を前にした子どもがはしゃぎ倒すのは当然のことだ。

高さ3mはある大型遊具を設けておいて「走らないで」は無茶というもの。設置者は「大型遊具の中を、ゆっくりと行儀よく行進する石川の子どもたち」を想定したというのか。

「悪法も法」と言うから、親として、既存ルールは我が子に伝える。ただ、職員の作業的な声掛けには「どうせ聞き入れられんけど仕事やし」という諦めがにじむ。親は「遊具はあるけど走っちゃダメ」と子に言い、子は「せっかく楽しそうやけど我慢して遊ぼう」となる。

「けど」ばかり。

ちなみに、県立図書館のホームページ上は、こどもエリアを「屋内外で体を動かして遊ぶ」ことができると紹介している(下のスクリーンショット)。「体を動かす」の受け止め方は人それぞれだろうが、筆者の感覚とは差が大きい。

これじゃあ「看板倒れ」?

Twitterで賛意を示してくれた方々の意見を総合すると、だいたい以下のようになる。

あめるんパークなど、最近の子育て関連公共施設はルール、ルールで締め付けが強すぎ。大ケガ発生への懸念は分かるけど、これじゃ、中身が伴ってない。

立派な理念を掲げる施設を造っておいて、ふたを開けたら制限だらけなのでは「看板倒れ」「有名無実」と言わざるを得ない。

「ケガしたらどうする!」⇒ 互いに謝る。以上。

もちろん、子どもを好き勝手に遊ばせればケガをすることもある。行政は「落ち度があれば」責任を追及されるかも知れない。でも、それはショッピングセンターの子どもコーナーも、幼稚園も、公園も同じ。本来なら最低限の免責事項を明記し、安全対策を施せば済むはず。

そう考えていたら、案の定、下の批判が来た(特定しにくくするため、語感を少し変えた)。

子ども同士がぶつかり、ケガしたらどうするのか、気になる

答えは簡単。ぶつかったら互いに謝るのが社会の常識だ。

そもそも「どうする」のか「気になる」という言い回しから察するに、さしずめ「責任の所在はコチラではなくうんぬん」と言いたいのだろう。だから「はしゃげない遊具」が誕生するんだな、と再認識した。

責任転嫁すれば、自分は「正しく」いられるが…

書くのもバカバカしいが、人は歩けば他人にぶつかったり、転んだりする。子ども同士なら些細なことで言い合いになり、取っ組み合いに発展することも。それら全てを避けたいなら、自宅にずっと座って(座らせて)おくしかない。

親がするべきは、子に対し、他人とぶつからないよう注意して歩き、転んでも先に手をつくよう教えることだろう。他人を傷つけてはいけないと伝え、もしも傷つけてしまったら頭を下げるのだと教えることではないのか。

必要なら親も一緒に謝る。我が子に関する一切は最終的に親の責任だからだ。それを、他人に頭を下げさせてどうなる。他者のせいにすることで親が自分を「正しく」保っている代償として、子どもが学ぶ機会も失われるように思う。

おそらく、かの批判は「外野のくせに無責任なことを言うな」とのニュアンスを含む。しかし、上記の通り、筆者は子育て中の県民という意味で当事者だし、むしろ自らの責任を積極的に認めている。

(先に言うと「謝って済むなら警察は要らない」とかいう再批判は止めてほしい。「謝る」は親としての姿勢を象徴する言葉として使ってるので)

まとめ:「ズレ」を埋める努力を願います

令和の時代に全国で「モンスター」が大量出現しているのは、知り合いの教育関係者から聞いている。行政がリスクを取りにくいのは分かるが、みんなのモヤモヤを解消し、より気持ち良く利用できるよう、設計思想と現状のズレを埋める策を練っていただきたい。

例えば、地域一番のサッカー場を新築し、完成後にゴール裏のフェンスが低かったと判明した際に「ボールが外に出ると危ないので、シュートはゴロ限定です」と選手に要請しないだろう。当然、フェンスを高く直すべきだ。

あれだけ魅力的な図書館をつくり上げた方々である。きっと、優れた解決策を生み出せると思うのだが…。

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