「ホテル空白地」金沢・尾張町に開発の波/老舗ギフト店・佐野商舗の跡が宿泊施設に/他にもウワサが…

2015年の北陸新幹線開業、その後のインバウンド増加の流れで開発が続いた金沢のホテル市場。地元勢・県外勢が入り乱れて適地を探し求める中、割と静かだった金沢市尾張町の周辺に、ついにホテル開発の波が押し寄せ始めた。

金沢市尾張町2丁目。2025年10月2日に訪れると、武蔵ヶ辻と橋場町を結ぶ道路沿いに鎮座する「佐野商舗」のビルが、宿泊施設に生まれ変わるべく改修工事に入っていた。

佐野商舗は記念品や工芸品を扱う店で、歴史は明治維新の頃に高岡市内で開かれた銅器製造問屋にまでさかのぼる。今から150年ちょっと前だ。その後、大正時代には金沢市香林坊へ移転。昭和初期になって尾張町へ移った。

よく見ると、1階部分は天井が高そうで、2階の外観には程よい重厚感がある。最近はこうした趣や特徴のある建物をコンバージョン(※)して宿やレストランを開業する例が多くみられる。ここ佐野商舗も以後の詳細は不明ながらホテルへの改修が始まったようだ。

※コンバージョン…既存の建築物の用途を変更して再利用する建築手法のこと。解体や建て替えと比べると、低コストで工期が短く、地球環境への配慮や既存の建物の個性を生かした魅力的な空間を生み出せるメリットがある。

私の思い出話を披露すると、7年ほど前、地元紙の記者として、尾張町のコインパーキングにホテルが開発されるとのウワサを聞きつけ、近所の方なら何か知らないかと佐野商舗を訪ねたことがある。

結局、取材は空振りだった。それから時間が経ち、駐車場は今も駐車場のまま。そして、その佐野商舗がホテルになるという…数奇というか何というか…。


さて、そもそも「尾張町」という町名は前田利家が七尾から金沢へ入城する際に、ふるさとの尾張国から呼び寄せた商人を住まわせたことに由来する。当時はもう少し金沢城寄りにあったようだが、江戸時代の大火によって現在地に移った。

その「現在地」というのが、武蔵ヶ辻と橋場町を結ぶ位置にある。観光スポットで言い換えれば、近江町市場と主計町・ひがし茶屋街を結ぶ動線上にあり、昨今では日常的に国内外の観光客が散策している姿が目につく。

昭和末期生まれの私にとって、このエリアは良くも悪くも古い建物が多い印象が強い。言葉を選ばずに表現すると「昔は賑わってたんだって?」という感じだった。

ところが、北陸新幹線開業前後から金沢の観光マーケットが急成長した。それに加え、既存建物を生かしたコンバージョンが流行っているのを背景に、尾張町の立地が再評価され、いま周辺を歩くと、古い建物を改装した小売店や飲食店が軒を連ねている。今回のホテル開発も、その文脈で語れそうだ。

なお、周辺では他にも既存建物の用途変更によるホテル整備のウワサがある。すでに金沢駅西へ移転した太陽生命のビルがある場所も、利活用策は現時点で公表されていないものの、ホテル開発の可能性がささやかれている。

真ん中のベージュっぽい建物がもともと太陽生命のビル

ほんの十数年前まで、金沢市内のホテルと言えば金沢駅か香林坊あたりに集中していた。しかし、近年は南町のオフィスビル跡地、片町の雑居ビル跡地に広がり、さらにその周縁部にまで広がっている。

この開発ムーブメントがいつまで続くか。

この点、先日、岐阜県高山市を訪れた際の経験が役に立ちそうだ。高山市の古い街並み周辺では、行き交う人のおそらく半分以上が外国人観光客だった。

金沢も一昔前から見れば外国人の増加ぶりに隔世の感があるが、高山のような街と比べると、まだ伸びしろがあるとも感じる。そうなると、このホテル開発も、まだまだエリアの拡大を伴いながら続いていきそうに思えた。

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