課題は「日銀跡地の活用」なの?/香林坊周辺のグランドデザインの無さじゃない?/じゃあ、どうする?

課題は「日銀跡地の活用」なの?/香林坊周辺のグランドデザインの無さじゃない?/じゃあ、どうする?

2023年2月ごろから、日銀金沢支店(金沢市香林坊2丁目)が金沢駅西に移った跡地の行方について、地元マスコミが騒がしい。「市が歌劇座の建て替え候補地として、日銀跡地案を断念」「跡地活用策が課題に」うんぬん。でも、本質は違うところにあるのではないか。

根本的な課題は「旧市街地のグランドデザインの無さ」だと筆者は考える。


旧市街地はマーケティングで言う5C(Consumer、Competitor、Company、Customer、Community)が欠けている。つまり、どんな競争環境下にいて、誰に、どんな価値を提供するか、という視点が無い。そして「みんなが集う中心部」という過去からの幻想に囚われているように見える。

そして、諸々の問題には目をつむり、話をたった1カ所の土地の利活用策に矮小化しているのではないか。

現在の日銀金沢支店

チャーシューだけ美味いラーメン店に行く?

「日銀跡地の活用策」は課題ではなく、現象にすぎない。問うべきは、なぜ日銀は金沢駅西に行き、なぜ香林坊から人が消えたのか。それらに目を向けず、空いた土地をどうするかだけを考えても「街の活性化」というゴールには結び付かない。

例えるなら、丼全体の方向性すら決まっていない不人気ラーメン店が「とにかく美味いチャーシューを作る!」「そうすれば客は来る!」と全集中で改良するようなもの。

ラブロ片町の跡地に商業施設「片町きらら」ができ、見た目が新しくなって、それで街の状況が上向いただろうか。(コロナ禍という事情はあれど)2区画隣の「香林坊東急スクエア(旧109)」も含め、テナント集めに苦心しているのがありありと見てとれる。

両者の間の区画では再開発計画が浮上したものの、コロナ禍で当初案に「待った」が掛かった。それぞれに「4番バッターと言わないまでも、3番打者ぐらいの存在感は出したい」と考え、結果的に7番、8番ぐらいのバッターばかりが量産され、迫力に欠ける打線になった気がする。

「日銀跡地はスープだろ!」

「分かってないな、日銀跡地はスープや麺なんだよ」「日銀跡地が4番なんだよ」と反論されるかも知れない。

だとしたら、事態はもっと深刻だ。ラーメンのコンセプトが決まらないままスープの味付けを考えるなんて、最悪だろう。

再び野球に例えると、2023年のWBCで4番村上が不振でも、3番大谷や5番吉田が打つからチーム力が安定する。立派に育てた4番バッターがスランプに陥った途端に連敗するチームは、とても持続可能と言えない。WBCなら、負けても「残念」「頑張った」で済むが、街はそういうわけにはいかないだろう。

近所には人気ラーメン店がズラリ

まして、今は商圏内に流行に乗るラーメン店(金沢フォーラス)や家族連れが入りやすいチェーン店(イオンモール、アピタ)が、いくつも建ち並ぶ。指示を失いつつある古参のラーメン店が、具材を改良するぐらいでフレッシュな人気店を逆転できるはずがない。

同じことは県社会福祉会館や広坂合同庁舎の跡地活用についても言える。地元経済界の一部で「緑地にしろ」と要望があるようだが、なぜ緑地なのだろうか。

大量に植えられた草を見るために遠方から足を運ぶ人はいない。

地元住民は行く機会がない旧市街地に緑地が増えても、何の感慨もない。

本来は「どういう街にするか」というデザインがあり、そのベストな方法論として「緑地」が提言されるべき。何だか「変な施設ができるなら、緑地がマシ」「緑が豊かな『中心部』こそ金沢にふさわしい」という消極的・曖昧な考えを感じる。

【提言】旧市街地は物販を捨てろ

それでは、何をどうすべきか。世間知らずで無責任な、でも、あと40年はこの街に生きる前提で危機感を持つ37歳による戯言と受け止めてくだされば幸いである。

昔は街全体がテーマパークだった?

以前、旧109裏には映画館があった。津幡町で育った筆者は、電車に揺られて金沢駅に降り立ち、香林坊大和で昼食をとり、109裏で映画を観た夏の日を、30年たった今も記憶している。あの頃「香林坊に行く=ワクワク」だった。

聞いた話では、もっと昔、本多の杜ホールの場所は野球場で、金沢城には金沢大学があり、文教会館や三谷産業本社のある場所はボウリング場だったらしい。尾山神社にはサーカスが来ていたという。街全体が1つのテーマパークのようだ。

時代に合わせた娯楽で、人の流れを

当時を知る経営者が「まちなかに人が来ないって言うけど、人が来る機能は全て郊外に持っていったじゃないか」と嘆いていた。

もちろん、いまボウリング場や映画館が旧市街地にあっても、にぎわうとは思えない。大事なのは、ライフスタイルの変化に合わせて街の機能をアップデートすることだろう。

香林坊にサッカー場を建設?

例えば、30年前は地元にプロスポーツチームがなかった。

筆者は先日、初めて観たツエーゲン金沢の試合(日曜14時、石川県西部緑地公園)で、ゲーム自体を楽しめた一方「スポーツ観戦と言えば、ビールとつまみ」という感覚からすると、少し物足りなさを覚えた。

あえてさまざまな事情(立地、建設中の施設の存在など)を抜きにして考えると、いま旧市街地にサッカー場や野球場があれば、公共交通で移動して昼から酒を飲み、調子づいたら片町で2次会、3次会、4次会、5次会……という休日の過ごし方ができる。

このプランなら「街に行く動機」ができる。服を買うならイオンかフォーラスかユニクロか…と行き先を迷うが、スポーツの試合は、その時、そこでしかやってない。14時からの試合が終われば16時。「せっかく来たし、少しぶらついてから夜飯でも」となりそうな時間帯だ。

市街地「でしか」できないこと

この構想は公共交通が発達し、片町がある「旧市街地でしか」できない。

今さら数店舗が入る商業ビルを幾つか造っても、物販機能が郊外や主要駅前に集まる流れには抗えない。それなら、街全体の役割をシフトすべき。数年前、金沢駅近くにアリーナを設ける構想があったが、むしろ役目を見失いつつある旧市街地にこそ、そうした機能を持たせればいいと思う。

そもそも、市街地・繁華街なんて「何でもあり」みたいな雑多な雰囲気が魅力のはず。「行ったら何かやっとるやろ」「どっかに面白い店があるやろ」。そんな漠然とした期待感を持てる街であってほしい。

「コト消費」と表現するのが最適かは分からないけど、物販に執着する姿勢を脱ぎ捨て、北陸一の繁華街と観光名所を抱えるメリットを生かし、スポーツとか音楽とか地域内外の人が大量に集まる要素をフックに、観たり、やってみたり、そのまま街に流れたりできる、そんなコンセプトを作らないといけないのではないか。

それが行政なのか、新聞社なのか、地元商店街なのかは分からない。ただ、そうした根本的なテーマ選定もせず、ひたすら「1つの具材の味付け」ばかりを議論しているような現況は、筆者からすると、すごく滑稽に映る。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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