【妄想】金沢旧市街地をジャングル化、金沢駅前を音楽の街「楽都」に/都ホテル跡地にZepp誘致、旧市街地の各ホールを駅前に移設?

【妄想】金沢旧市街地をジャングル化、金沢駅前を音楽の街「楽都」に/都ホテル跡地にZepp誘致、旧市街地の各ホールを駅前に移設?

2023年11月1日

金沢駅前にあった「金沢都ホテル」の建物が解体され、はや5年。ホテル跡地を所有する近鉄グループと地元・金沢市が、ようやく「高さ制限を緩められる特措法を活用したいね」という意見で一致したらしい。

地元新聞が「都ホテル跡 再開発合意」と見出しを打った影響か、SNSでは「ついに再開発計画が具体化する!」と誤解している人が散見される。が、実際は「そりゃ高い建物にできる方が良いよ」と合意しただけ。まだ準備段階の準備段階だ。

右手の白い仮囲いが金沢都ホテル跡地(2023年11月1日撮影。他の写真も同日撮影)

昼ご飯に例えると「大盛り無料の店に行こう」と決めたが、それがラーメン屋なのか定食屋なのかは決まっていない、デートなら「大人な雰囲気の服装にしよう」と決めたが、肝心の行き先が決まっていない、そんな感じか。

そこで「この記事を楽しみに読んでくれる人がいるかどうか」というユーザー目線をあえて完全に放棄し、自己満足の私案を述べてみる。

商業機能も多い金沢駅兼六園口(東口)

まず、金沢駅周辺の現状を把握するため、地図を大まかに色分けしてみた。中には「ホテル兼オフィス兼商業施設」みたいな建物もあるが、細かく分けたらキリがないので、大雑把な色分けと理解いただきたい。

イメージとしては駅に最も近いところがホテルで、その裏に商業機能(ここでは居酒屋やラーメン屋、物販店などをまとめて「商業」と表現)があると分かる。

兼六園口(東口)側はポルテ(ホテル日航金沢)、ヴィサージュ(ANAクラウンプラザホテル金沢の隣)という大きなオフィスがあるが、比率で言えば金沢港口(西口)側にオフィスが多い。また、西側はマンションに加え、戸建て住宅や低層アパートが意外に多い。

低層階にZepp・商業機能を

地図を見ていると、金沢駅前に音楽関係施設がいくつかあることに気付く。代表は石川県立音楽堂金沢市アートホールである。

県立音楽堂は一般的な音楽ホール(1,560席)に加え、歌舞伎などで使える邦楽ホール(727席)も備える。そして、練習場所としても使える交流ホールがある。

金沢市アートホールはポルテ金沢6階にあり、308席と小さめだが、それで良い。同じスペックの施設が複数あっても仕方ない。県立音楽堂と棲み分けができている。

ここで、金沢都ホテル跡地に開発する「高層ビル」の目玉として、1階にライブホール「Zepp」を入れることを勧めたい。

他には現状で金沢の中心部にない家電量販店。ヨドバシカメラやビッグカメラなど、北陸初のブランドの大型店をそろえたい。地下は飲食街など(後述)。

Zeppの北陸進出を巡っては、西松建設がコロナ禍の前に西金沢駅前へ誘致する計画(収容1,300人規模)をぶち上げたが、新興住宅地である地元町会が強く反対。この間に隣接地には分譲マンション、賃貸マンションが建ち、今も2社の事業所を建設している。

西金沢駅前の様子。マンションの奥が駅。向かって左がZepp建設地。手前が事業所の建設地(2023年10月撮影)

写真から分かる通り、もはや西金沢駅前はライブホールの適地とは言えなくなっている。

そもそも、Zepp建設の主な反対理由は「住宅や事業所がメインの静かなエリアに不特定多数が来て騒ぐホールは止めて」「うまくいかなかったら数年後には使い道のない廃墟が残る」だった。

であれば、そもそも一定の繁華性が前提にあり、テナントの出入りが日常茶飯事のエリアなら、住民の理解も得やすいはず。それが金沢なら片町や香林坊、そして金沢駅前あたりだろう。

「金沢旧市街地空洞化計画」とも親和性

筆者は下記リンクの記事で、広坂周辺を中心に進む「金沢旧市街地空洞化計画」(あくまでフィクション)を解説し、手前味噌だが、かなり好評だった。

【妄想?】進む「金沢旧市街地空洞化計画」とは/緑地に次ぐ緑地/目指すは比較不能な「オンリーワン都市」?

※金沢の未来について抱く大きな危機感を覆い隠し、フザけて自虐的に書いてます。フィ…
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最近の旧市街地は、ただでさえ人口減少やドーナツ化で都市機能が衰えゆく中、それを加速させたい勢力により、至るところが緑地化されている。

かつて、金沢城(尾山御坊)は一向一揆衆の本拠地、加賀藩の政治の中心地として栄え、その後は陸軍の拠点(=軍都)、金沢大学のキャンパス(=学都)として、その時代ごとに金沢の街の性格を規定してきた。

そこが今や広大な緑地と復元した倉庫ばかり。それでも、さらに草花を植え続けようというのだから、金沢の街をジャングル化して後世へ存続させたいのだろう。斬新。

「クラシックからパンクまで響く駅前」

上記リンクの記事でも触れたが、地元経済界の一部は「市は香林坊にある日銀の現金沢支店跡地を買い、ホールを造れ」と主張。それなら、ちょうど日銀跡地にZeppを持っていくのがスムーズなように見えるが、それは「金沢素人」の考えだと一刀両断しておく。

それはそれで「地元経済界の有識者」たちが「本物志向で文化伝統が根づいた風格ある金沢にライブホールなんて相応しくない」と理解不能な戯言でゴネて面倒になるのが明らかだからだ。

だから、当サイトではZepp整備の代替地として、金沢駅前に目を付けた。

上の写真にあるように、旧市街地には現状でホールが点在している。私案では、これを全て金沢駅前に移転・集積させる。

特に、金沢市文化ホール(左上の「既存ホール」)、本多の森北電ホール(右下の「既存ホール」)は古い。都ホテル跡地の高層ビルに移したり、県立音楽堂の機能を強化したりして受け入れる。

キャパが足りなければ、ホテル金沢や金沢フォーラスのワンフロアを借りて改装して気軽に使えるホールにしてみるとか。大規模なものは、建て替える県産業展示館に回せばよい。

そして、金沢駅前を歌舞伎やクラシックといった伝統的な音から、パンクロックまでが響く音楽の街「楽都」として打ち出す。古いオフィスビルの空室はプロ・アマの音楽の練習場に改装し、どこからともなく、さまざまな音楽が聴こえてくるような街にする。

そして、旧市街地から出ていったホールの跡地は全て整地し、あまねく完璧に1つ残らず緑地化するのだ!!!(ヒトよりクマが喜びそうだな……)

実は「更地」じゃない

さて、一連の地元マスコミの報道を見ていて引っ掛かることが1つある。それが「金沢駅前で更地(さらち)となっている金沢都ホテルの跡地について…」の「更地」である。

都ホテルの跡地は「更地」ではない。

次の写真を見ていただきたい。いずれも撮影は2023年11月1日。

めちゃくちゃ基礎部分が残ってる…。

今や白い仮囲いで敷地全体が覆われているが、一部、仮囲いの下にホテル時代の名残が見える箇所まである。

上空写真で見ると、もともとあった地下街へ下りる通路も残っている。金沢駅からもてなしドームを地下に下りてみると、此花町側へ通路の先に、下のような場所がある。

都ホテルなき今、此花町方面へ行き来する人が少ないからなのか、エスカレーター休止中どころか、間違っても使えないよう柵が設けられている…。この状況を確認した上で、もう一度言おう。

都ホテル跡地は、まったくもって「更地」ではない。

地下街を再構築

今も囲いの奥に眠る都ホテル地下街。その魅力は、もりさけてんさんのブログなどに詳しい。

飲食店はもちろん、映画館もあったそうだ。30代の筆者は絶頂期を知らないが、往時を知る人と話すと、良い歳したシニアが文字通り目を輝かせて思い出を延々と語って止まらない。そういう場所だ。

この巨大な地下街は道路の下まで広がっている。つまり、地下街を解体するには交通量の多い道路の一部を止め、地面を掘り返す作業が必要ということか。跡地開発プロジェクトを進めるに際し、かなり大きな障害になるのが地下街とみられる。

ところで、私案では、それだけ愛された地下街の雰囲気を残した新たな地下街を再構築すべきだと考える。

現在の金沢駅周辺は、小綺麗で都会的な雰囲気になっている。

でも「小綺麗」は「味がない」、「都会的」は「東京の縮小再生産」とも捉えられる。北陸新幹線に乗れば2時間半で東京に到着し、ネット通販で無数の商品にアクセスできる時代に、都会の猿真似は観光客にも地元住民にも魅力が乏しいだろう。

近江町市場が注目されるのは「市民の台所」という看板があり、魚やフルーツの匂いに地域性があるから。それなら、駅前の新しいビルの地下に、昼から日本海の魚で一杯やれる安居酒屋があっても良い。ホールを集結させた結果、今どき、流しのミュージシャンがいても面白い。

東京や大阪の成功例を地方にコピペするのではなく、多様性・地域性に重きを置いた空間を、ぜひ検討してみてほしい。

報道と現実のズレにみる難しさ

報道で「更地」と表現されているのに、実は更地ではない。「再開発合意」と報道されているが、実は「できれば高い建物を造りたいね」と意見が一致しただけ。本当に高さ制限を撤廃できるかどうかも分からない。

なんか、報道が現実から離れ、浮き足立ってないか?

ホテル地上部の解体から5年を経て、報道と現実がこれだけズレている。これは根深いと思う。今回の「合意」が跡地開発プロジェクトを前進させたのは確かだが、一方でプロジェクト実現に向けた道のりの険しさをまざまざと見せつけられたようにも感じた。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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