火災による半年間の営業休止を経て、2023年11月23日に復活する西金沢駅前の老舗洋菓子店「ノルマン」(金沢市米泉町7丁目)。文字通りゼロからの再出発の道のりは、限りなく険しかった。
※この記事は2回連載の㊦です。㊤は以下のリンクから
「ばあちゃんを助けないと」
「ドーン!」「ドン!」
5月6日夜。「喫茶ノルマン」2階に住んでいた3代目見習いの中村一貴さん(31)は、大きな物音を耳にした。最初は「表通りで酔客が騒いでいるんだろうか」と思ったという。
しかし、実際に様子を見てみて驚く。長屋でつながる2軒隣のカメラ店(別の家族が経営)から火の手が上がっていたのだ。カメラ店と喫茶ノルマンの間、テイクアウトのノルマンの2階には、80代の祖母が住んでいた。「ばあちゃんを助けないと」
ノルマンに飛び込んだ瞬間、目にしたのは白い煙だった。少し進んだところで、電気が落ちて真っ暗になった。スマートフォンで前方を照らすが、煙が充満していて視界は前方30㎝ほどしかない。やがて、煙が黒色に変わり始めたという。
炎の熱や煙による息苦しさを感じながら、2階にいた祖母の体を支えて1階へ。裏口に出ると、祖母が咳をして倒れ込んだ。中村さんは歩いて避難できないと考え、車に祖母を押し込むように乗せ、数百m離れた。愛猫は助けられなかったが、家族は何とか無事だった。
様子を見に戻った2代目(中村さんの父)は、煙を吐く店の姿を前にして放心状態だったという。
「全てが真っ黒」
ノルマンは1971(昭和46)年に開店した。それから50年超、西金沢の地に根を張ってきた。
いま店舗を訪れると、テイクアウトのノルマンは再オープンに向けて改装中で、リニューアルに伴って閉める旧「喫茶ノルマン」はクリーニング済みでキレイになり、後継テナントを探している。パッと見では、あまり火災の痕跡が目に入らない。
「でも、直後は全てが真っ黒だった。何を触っても指が炭で黒くなり、あっちもこっちも水浸しで…」。1階が店舗、2階が住居だった。その両方が、一夜にして消えた。
筆者は新聞記者時代、火災現場に駆けつける度に炎の迫力に圧倒された。50m、100m離れていても熱波を感じ、炎から出る重低音は単に建物を焼くというより、そこに住む人の思い出や大切な品々を刻一刻と葬り去っているような、そんな恐ろしさを感じた。記者をしていると、いろんな感覚が麻痺しがちだが、火災に慣れることはなかった。
そんな惨状を目の当たりにした当人たちの心中は、察するに余りある。まして、家だけではなく、仕事だけでもなく、どちらも失ったのだから。
「運が悪かったとは思わない」
㊤でも触れたが、全焼した店舗を前に、一度は別の場所への移るアイデアもあったという。
ただ、これまで支えてくれた既存客は近隣住民が多かった。各地で商店街が衰退する中、西金沢駅前は高校生やサラリーマンを中心に人通りがあり、上皇さまが皇太子時代に通られたことに由来して「プリンスロード」と称する商店会は、若いメンバーもいて活気があった。
そう考えると、ノルマンは西金沢にあってこそ「ノルマン」であり続けられる、という結論に至った。
隣家から出た火災で全てをなくしてしまった中村さんだが、いま、その口調は力強い。「必ずしも『運が悪かった』とは思っていない。いろいろなチャンスをもらえた面もある」
確かに大変な境遇だった。でも、商店会のメンバーが寄付を募ってくれた。顔なじみの客の中には見舞金を持ってきてくれる人もいた。そんな恩をあらためて感じ、それらに報いて長く持続できる店となるべく、㊤に記したような新しい商品づくり・店づくりに取り組んだ。
再オープンまで、あと1カ月半。さまざまな準備作業が、いよいよ佳境に差しかかっている。
だから「新生ノルマン」
「再オープン」と言っても、昔の「ノルマン」を再現するわけではない。ピンチをチャンスに変え、現代に合うようアップデートを試みる。だから、営業再開後、もしかしたら「これはノルマンじゃない」と受け止めるオールドファンもいるかもしれない。
でも、その「違和感」というのは、今回の苦難がノルマンや中村さん一家に与えたさまざまな影響が大きかったことの証しであり、街の洋菓子店がずっと営業を続ける上で欠かせない手立てを講じたことによる差分とも言える。
この短い連載では、再オープン後の店を「新生ノルマン」と表現してきた。その呼称の中に、悩んだ末にようやく踏みだす一歩に向けたエールを、筆者なりに込めたつもりである。
(おわり)