3割バッターは2割バッターの何倍も稼ぐ/詰めが成否を分ける/「ユダヤ人大富豪の教え」/本田健 ㊦

3割バッターは2割バッターの何倍も稼ぐ/詰めが成否を分ける/「ユダヤ人大富豪の教え」/本田健 ㊦

2022年3月18日

㊤で成功に関する考え方、㊥で人脈・人付き合いのコツに関する記述をまとめた。

最終回の㊦では、ビジネスの進め方や人生訓に関する記述を抜粋し、まとめる。

※㊤、㊥の記事は以下のリンクから。

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ここまで何度も見てきたように、ビジネスの本質は人に喜んでもらって対価を受け取ること。より具体的に言うと

人がお金を払ってもいいと思うぐらい価値あるサービスや物を提供すること

になる。

ただ、誰かを喜ばせるにしても、それが自分にとって苦痛な仕事だったら豊かな人生にはならない。幸せな人生を実現する最大の近道は、好きなことを見つけて「自分のビジネスを持つ」ことだという。

そして、そのビジネスに必要なことは全て学ぶ必要がある。この「全て」がポイントだ。最後の数%の詰めが「普通」と「成功」を分ける。

その例として本書が挙げるのがプロ野球選手。打率3割バッターと2割バッター。単純な打率の差は1割分だが、年収の差、得られる名声の差は何倍にも及ぶ。

「さらに頑張っても、せいぜい10回に1回、多く打てるだけなんじゃないの?」。その「1回」を得ようとする努力が、結果的に大きな差となって現れる。

ビジネスを始めるに当たってはリスクを抑え、小さくスタートするのが大切。チャンスは無限にある。何も最初から大きく構えず、着実にチャンスを捉えてビジネスを大きく育てるのが良いという。

そして、㊥でも書いたように「利益を得る仕組み」をつくる。短期で大儲けしようとせず、誰かに喜びを与え、自動的にビジネスが拡大するシステムを整えていく。ここまで来れば「成功したも同然」だ。

決断し、行動し、でも失敗する

おそらく多くの日本人が、ハッとさせられる記述がある。

普通は間違った決断を恐れ、何も決めない。成功する人は間違うリスクを冒すことが、いちばんリスクが少ないと知っている。

これは解釈の別れるところだろう。

筆者なりに考えると、自分で主体的に決断せず他人に委ねることは、自分の人生の一部を無責任な他人に預けることになる。それで何となくうまくいけば良いが、後で「何か違うよな…」となっても、他人のせいにするわけにもいかず、かと言って自戒にも限界がある。残るのは、後味の悪さとムダに過ごした時間だ。

本書では「人生の価値観、優先順位をはっきりしておく」ことを勧める。そして決断それ自体には失敗がないことを念頭に、いったん決めたら断固たる態度で前に進むことが大切だと説明する。

「有能で知識のある人が成功できないのは、決断力と行動力がないから」。失敗は誰にでも怖いが、失敗とはうまく付き合わないといけない。

失敗したということは、少なくともチャレンジしたということ。(中略)大切なのは、そこからカムバックする精神力だ。

「失敗」とは何か。本書いわく「成功への過程で、うまくいかない方法を潰した」ということだと説く。夢を見て、自らを奮い立たせ、ベストではない選択肢を消していく。

批判を受けて飛び立つ

だから失敗と同じく、批判も大切にすべき。「批判」は単なる意見表明で、自分の価値と直接の関係はない。本書では、批判は向かい風ではあるが、飛行機や恋愛と同じで、あるからこそ高く飛び立てるのだと説明する。

そもそも批判する人は自分に関心を持ち、何かしらの感情を抱いている。それがマイナスに振れただけで、最大の理解者にもなり得る。だから、批判もそうだが、批判してきた人も、大切にしなければならないという。

さて、こうして成功への考え方を学び、人脈の作り方を身に着け、失敗や批判に関する心構えもできたので「あとは豊かな人生まっしぐらだ!」と思うが、そうはいかない。本書では最終盤に、こんな記述がある。

それでも君は必ずたくさん失敗する

でも、その失敗からとにかく多くを学べばいい、とも書かれている。自分でダウンしたと認めなければ、人生のゲームは負けではない、とも。

そして、言う。

何度倒されても立ち上がれ。自分の勇気を人生で一番の誇りにするのだ

オススメの1冊である。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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