「俺を好きになってくれ!」という告白にOKする?/北陸新幹線「かがやき」停車運動に思う

「俺を好きになってくれ!」という告白にOKする?/北陸新幹線「かがやき」停車運動に思う

2024年春の北陸新幹線敦賀延伸に向け、石川、福井県内で最速列車「かがやき」の停車を求める運動が活発化している。ところが、2015年の金沢延伸時から続く新高岡駅の停車要望も含め、筆者は多くの違和感を覚える。

(Twitterで停車駅に関するコメントが多く寄せられたので、筆者なりに考えをまとめる)

主張は大きく分けて以下の2点。

 ●かがやきが地域を輝かせるとは限らない。順序が逆

 ●停車駅に関する基準を明示するべき

かがやきが停まると、バラ色に?

そもそもの疑問。

「かがやきが停まると、何がどうなるの?」

そう聞けば、十中八九「アホか、乗降客が増えて街が活性化するに決まっとる」と返ってきそうだが、本当にそうだろうか。

仮に、例えば金沢にかがやきが停まらなくなったら、観光客は急に減るだろうか?逆に(申し訳ないが)糸魚川に停まるようになったら乗降客数は急増するだろうか?

公共交通が便利だから人が集まるわけではない。街に魅力があるから集まる。

「うちにも、かがやきを!」と主張する地域が誘客にも取り組んでいるのは理解している。

だが、停車運動を見ると「良い男になれるよう頑張っとるし、今のうちから俺を好きになって!」とよく分からない告白をしているようにも感じる。相手から好意を持たれる男になるのが先だろう。そうすれば、いつか告白される側になる。

「1県1停車」と明示を

そもそも、最速列車と名乗るなら、前提として停車駅は少ないほど良い。現状、東京ー金沢では、原則として上野駅を除いて県庁所在地にある駅にのみ停車する。この「1県1停車」を運行事業者は基準として明示すべきだ。

先の恋愛の例で言うと、女性が最初から「スポーツマンとしか付き合わない」と宣言していれば、文化系の男性は諦める。ところが、周囲から「スポーツマンがタイプだけど、文化系も100%NGではないらしい」と伝え聞くから「俺を好きになって!」という告白に踏み切る。

可能性がゼロではないのにアタックしないと、周囲から「意気地なし」と笑われる。同様に、沿線の政治家は明確に「ノー」と言われていない中で黙っていると、有権者から「何をサボってるんだ!」「他の地域は動いとるぞ!」と責められる。

無理筋と分かっていても「うちにも停車を!」と騒いでいれば「おこぼれ」をもらえるかも知れない。「臨時列車を幾つか停める」とか。実はそちらが運動の終着駅の場合もあるだろう。

「たった数分」ではない/時間は相対的

今回のリツイートに「速達性って言うけど、停車駅が増えても数分違うだけだろ?」という反応があった。これは「時間」への認識が甘い。

時間は相対的なもの。例えば、面白い映画を観ている2時間は一瞬に感じるが、コンビニのレジに並ぶ3分間は長く感じる。自分が価値を実感できるかどうかで、時間間隔は変わる。

誰かが喜ぶのなら、まだ納得できる。でも「速さ」が売りの新幹線が減速し、停車し、でも降車した客があまりいないとなると、乗客の無駄骨感は強まる。その時「たったの数分」は「快適な旅を邪魔した無駄な長い時間」になる。

地域エゴイズムを超えて

福井新聞が2022年10月19日に配信した記事によると、越前たけふ駅へのかがやき停車を求める越前市の担当者は「最速列車が止まる止まらないでは大違い。利用者の利便性を考えれば、通る新幹線は全部止まってほしい」と話したらしい。

この「利用者」は文脈からして「越前たけふ駅の」利用者。しかし、新幹線は存在意義として、大量に、速く、遠くへ輸送する乗り物。何百kmという総延長全体、または国土全体で、イギリスの哲学者ベンサムの「最大多数の最大幸福」につながるような利便性を考えたい。

利用の少ない駅を切り捨てろ、と言いたいわけではない。乗降者数が多い駅が偉いわけでもない。

しかし、最速をうたう列車が乗降者数の少ない(だろう)駅に止まるということは、少数者の利便性アップと引き換えに、大勢の便益ダウンを容認するということだ。そこに納得感があるとは思えない。

事実として、県庁所在地の駅周辺が圧倒的に各種施設がそろい、人口が多く、駅の利用者数も多い。なるべく多くの人が利便性を享受する一方で不便さを感じずに済むためには、県庁所在地の駅、もしくはそれに比肩する駅のみに停車するのは当然の帰結である。


アフターコロナの観光市場で地域間、国家間の旅行需要争奪戦が始まろうとしている時に、北陸という狭いエリアの、さらに狭い市町村単位で張り合ってどうする。

「船頭多くして、船、山に登る」よろしく、偉い人らがこぞって思い思いの主張ばかりしていたら、せっかくの新幹線がレールを外れ、無用の長物と化してしまうのではないか。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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