スギヨ「ビタミンちくわ」は黒部ダム(くろよん)建設を縁の下で支えたらしい/今や長野の「ソウルフード」

スギヨ「ビタミンちくわ」は黒部ダム(くろよん)建設を縁の下で支えたらしい/今や長野の「ソウルフード」

スギヨ(七尾市)の代表商品「ビタミンちくわ」は、黒部ダム(くろよん)の建設時、世紀の大事業に汗を流す作業員の胃袋を支えていたらしい。その縁で、スギヨが2022年11月、黒部ダムの玄関口に当たる長野県大町市の小学校で歴史を伝える食育活動を実施する。

スギヨによるプレスリリースをまとめると、以下のようになる。

「ビタミンちくわカレー」

ある日、スギヨに1本の電話があった。

黒部ダムのレストハウスでビタミンちくわを使った復刻メニューを出したい」

関西電力によると、黒部ダムは1956(昭和31)年に建設が始まり、1963(昭和38)年に完成した。総工費は513億円で、建設には延べ1,000万人が動員され、難工事の中で171人が命を落とした。、高さ186mで日本一。世界でも最高クラスのダムである。

今から60年前のことなので、もちろん、スギヨの現役社員は自社と黒部ダムのつながりをリアルには知らない。

そこで話を聞いてみると、関西電力側が元作業員に建設当時の思い出を聞いたところ、現在80代の元作業員が「ビタミンちくわが入ったカレーの味が忘れられない」と証言したらしい。

過酷な現場での楽しみは、何と言っても食事。その中でも週に1回の「ちくわカレー」が最も人気だったそうだ。

ビタミンちくわは1952年発売、生産量の7割が長野で消費

ビタミンちくわは1952(昭和27)年に発売された。能登では大正時代、サメが大量に水揚げされたものの、食べる習慣がなかった。そこで、気仙沼から職人を呼び、ちくわを製造した。

サメの肝油にはビタミンが豊富に含まれる。1952年に「ビタミンちくわ」として発売すると、戦後の栄養難という時代背景も相まってヒット商品になった。船と荷馬車で長野県まで運ばれ、現在では生産量の約7割が長野で消費されるに至った。

今では長野県民が「冷蔵庫や冷凍庫にちくわがない日はない」と話すぐらいで、ちくわの磯部揚げ、ちくわの味噌汁、ちくわの炒め物、ちくわの酢の物、そのままのちくわ。同じ日の食卓に、複数のちくわ料理が並ぶのも普通だという。

始まった食育活動

スギヨはビタミンちくわ発売70年の感謝を込め、黒部ダムとビタミンちくわを通した食育活動を展開する。

2022年11月から、大町市の小学校で、ちくわカレーに関するドキュメンタリー映像、石川県の工場と中継する「オンライン工場見学」を授業に取り入れられる予定。食育は5年生が対象で、6年生が決まって黒部ダムを訪れる社会見学の事前学習としても役立ててもらう。


筆者はかつて、ビタミンちくわが長野県で高い支持を得ていると見聞きしていたが、まさか生産量の7割が長野県内で消費されているとは驚きである。

今の家庭で、ちくわが入ったカレーが出ても「おおっ!ちくわ入りだ!」みたいな大きなインパクトはないだろう。当時の時代背景と黒部ダムでの労働環境だからこそ、ちくわ(入りカレー)が特別な存在になった。もしも、ちくわ入りカレーを自分で作るなら、今の感覚でどうこう言うよりも、当時に思いを馳せながら味わってみたい。

スギヨと黒部ダムのドキュメンタリー映像はコチラ

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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