【残念】石川県の地方紙、平安時代の製塩土器を「古墳時代」と誤報/珠洲市の馬緤泊遺跡から出土/訂正なく続報で密かに情報修正

【残念】石川県の地方紙、平安時代の製塩土器を「古墳時代」と誤報/珠洲市の馬緤泊遺跡から出土/訂正なく続報で密かに情報修正

地元の方からの連絡・執筆要請を端緒に取材しました。情報提供ありがとうございました。

珠洲市の馬緤泊(まつなぎとまり)遺跡で見つかった10~11世紀(平安時代)の製塩土器を、地元・北國新聞が「古墳時代の土器発掘」とする誤報を打っていたことが分かった。それなのに訂正記事を出さず、続報で密かに修正したもようだ。

だって、古墳時代は一般に3~7世紀ごろを指すので、今回は最大で800年ほど年代を誤ったことに。たとえば、現代から見た800年前は鎌倉時代。はてしなく昔である。

これほど大きな間違いを放置するのは良くないと思い、事実関係を筆者が「掘り起こしてみた」。

初報は「古墳時代の製塩土器発掘」

初報が掲載されたのは2023年11月18日の石川政治面。

スマートフォン版ホームページのスクリーンショット

記事の内容を簡単に書くと「馬緤泊遺跡で製塩に使っていただろう古墳時代の土器の一部が見つかった。珠洲の外浦で古墳時代から塩が作られていたことを示す史料。23日に現地説明会がある」というもの。

「県教委と県埋蔵文化財センター」が上記のように古墳時代のものが発掘できたと「発表した」という。なんと、県教委と県埋蔵文化財センターが間違っていたのか。

続報は「平安期の製塩 思いはせる」

ところが、その現地説明会の様子を報じる11月24日付の地方面の記事は、まったく異なる内容となっている。

記事の内容は「参加者は平安期の地層から出た土器の破片や炉の跡を見学した」。

初報から続報まで、わずか1週間の間に、土器には800年もの時が流れた。確かに相対性理論では時間が不変ではないとされ、動いている物の………って、いやいや。

で、事実は…

そこで、石川県埋蔵文化財センターが公表した現地説明会の資料と筆者による追加取材を基に、事実をまとめる。

馬緤泊遺跡が位置する能登半島の外浦で、古墳時代から塩づくりがなされていたことは分かっている。そんな中、今回の製塩土器は小さい破片なので土器の形を見て年代を断定することができないが、出土した地層からは10~11世紀のものとみられる。

また、調査エリアは狭いので、それをもって広い馬緤町全体の製塩の様子は把握できない。今回の土器の破片が持つ意義を言語化するとしたら「能登の外浦で古墳時代から続く製塩の流れを知るための材料として、平安期の貴重な発掘物が増えた」ということ。

というわけで、土器の正確な製造年代は断定できないけど、平安時代とみられるらしいことが分かった。


2023年12月2日付朝刊の1面にも「県長寿福祉課」なる架空の行政機関を登場させたものの、こちらも放置し続けている。

これじゃあ「事実誤認があったので、うっかり発言を全面的に撤回する。でも、一切の説明はしない」と繰り返す政治家の方が、まだ間違いを認めているだけマシかもな…。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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