能登半島地震、被災地への新聞「不配」は販売店の問題と片付けるべき?/新聞は紙販売業か、情報サービス業か/まずは全戸にビラまいたら?

能登半島地震、被災地への新聞「不配」は販売店の問題と片付けるべき?/新聞は紙販売業か、情報サービス業か/まずは全戸にビラまいたら?

2024年1月24日

※記事公開翌日の2024年1月25日に一部の表現を修正し、赤字部分を加筆。主張や事実関係に大きな変更はありません。

2024年1月1日の能登半島地震から。もうすぐ1カ月。最近、筆者が関心を持っているのは、被災地に紙の新聞が届いていない事態に対する見解の違いだ。

Xで最初に「未だ知人宅に新聞が届かない。連絡すらない」という投稿があった。それに対し、同じ境遇の方々が「連絡はして状況を伝えるべき」「こんな時こそ新聞が欲しいのに」「被災してない本社が協力したら?」などと反応した。

一方、新聞業界に(おそらく本社サイドで)携わっているとみられる方は「販売店は新聞社にとって取引先に過ぎない」「顧客データは本社と共有されていない」「販売店が被災したら、もう仕方ない」と反論した。

筆者の結論を先に言うと、後者は問題を「配達の有無」に限定して小さく捉えすぎている。新聞は紙自体ではなくコンテンツに価値があり、それが届かない上に連絡もない状況は、広く情報媒体としての信用を損なうから、総力を挙げて早急に対処しないといけない。

紹介しているのは一部の意見で、読者や業界関係者が全て同じ見解とは限りません。この記事は単に新聞社を批判するのではなく、有事に情報を待っている人がいるんだから、できない理由よりできる行動を探してあげてほしいという意図で書きました。

「願望 vs 原則」で平行線

両者の意見を整理すると、前者が「災害時に新聞を頼る読者に対し、協力して何とか応えて」と願望を伝え、後者は「それは販売店の問題で、本社はそんな関係性じゃない」と原則論に終始している。

土俵というか戦っている時空が違うので、議論は平行線をたどる。

「ライフライン」

まず「新聞」って何だろう?新聞社という企業の主力商品。でも、消耗品ではない。少なくとも新聞社は新聞を「知のインフラ」と自認している。

私が地方新聞社に入った時、取締役(現社長)が座学の新人研修で言った。「先般の地震時は、車で行けない場所まで歩いて新聞を届け、大いに感謝された。新聞はライフラインみたいなもので、それだけ重要なものを君たちは作るんだ」

確かに、組織の建て付けからすれば、本社が動く必然性はない。でも、数万人の被災者を前に「必然性」「原則」と言っている場合か。新聞人なら「これほど新聞が求められる時はない!」「今こそ紙の温かさを届ける!」と奮い立ってほしいが、時代錯誤だろうか…。

読者がほしいのは紙ではなく…

最終的に読者へ新聞を届けるのは販売店や販売会社だが、読者は紙の束がほしいわけではない。情報にお金を払っている。だから、言葉で「新聞が届かない」と表現しても、意味するところは「私の下へ新聞社が情報をくれない」に近い。

新聞社の価値は紙の束ではなく、読者へ情報を届けるサービスにあり、その仕組みをマネジメントするのが仕事。新聞が来ない状況は販売店の問題という枠を越え、新聞社が構築してきたシステムが有事には無断で機能不全に陥るということを知らしめてしまっている。

ちなみに、奥能登にとどまる筆者の知人宅にも新聞や連絡は来ていない。そんな日が続くと、被災者は「新聞社(や販売店)も、新聞なんて、無くても困らないと捉えてるんだろう」「いざという時に頼りにならない」と受け取らないか。関係者みんなで総力を挙げて状況を好転させないと、その存在意義を揺るがしかねない。

記事はしばらくネットで無料公開に

では、筆者ならどうするか。

まずは全戸にビラをまく。内容は地域によって「2月から配れそう」「店主被災につきメドたたず」と違って良い。そもそも「配らない」ことが定期購読の契約に反しているため、詫びて現状を説明し、配達再開の時期を伝える。

新聞社だから印刷はお家芸。今の能登は普通に働いている人もいる(筆者の親類も出勤している)ので、ビラをまくのが不可能な地域はだいぶ減っている。それなら「販売店が〜」と言わずにできるだろう。

「顧客データが共有されてないから無理」という批判には「全戸に配れば?」と答えたい。今さら空振りを厭う状況ではないだろう。まず球場に行って顔を見せないと。1社単独でできないなら、各社が連名のビラを作り、手分けして配るとか。「空振り」も減るだろう。

避難所まで取りに来てもらうとか…

現在、避難所までなら配達している新聞社もある。それでも何かの事情で戸別配達ができないと言うなら、各地区の代表者に避難所まで受け取りに来るようお願いしてはどうか。

さらに、戸別配達のメドが立つまでは、インターネットで記事を無料公開する。そういう話もビラに書く。対象は「全て」だ。だって、普段から「新聞の長所は一覧性や網羅性」と言ってるんだから。

もちろん「ネットなんて…」というお年寄りもいるだろうが、謝って説明するしかない。言いたいのは「ダンマリよりはマシじゃない?」ということ。姿勢の問題。届いてもいない新聞の紙面に「不配のおことわり」を載せるよりは意味があるはず。


十数年の間、新聞社でそれなりに使命感をもって働いた身として、現状を残念に感じている。

新聞は今も災害時に有効な情報伝達手段になり得る。でも、最も情報を欲している人に届かない状況を放置したら、長年にわたって積み上げた信頼や価値が一気に崩れかねない。

誰かの責任を追及するのではなく、原則論にこだわるのではなく、ぜひとも柔軟にできることを実行してほしいと願う。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

PAGE TOP