金沢市内の宿泊施設で能登半島地震の被災者を受け入れ/民間ネットワークで対応/「こみんぐる」がとりまとめ

金沢市内の宿泊施設で能登半島地震の被災者を受け入れ/民間ネットワークで対応/「こみんぐる」がとりまとめ

令和6年能登半島地震で自宅を失ったり避難していたりする被災者に対し、安心できる仮の住まいを提供しようと、いち早く民間宿泊施設が動き出した。

宿泊施設「旅音」を展開する「こみんぐる」の林俊伍取締役が賛同施設をとりまとめ、特設サイトに情報を掲載している。

既に12施設が賛同

サイトでは5日18時現在、金沢市内12施設の住所や連絡先、担当者などが掲載されている。

料金は小学生以下無料で「大人は格安料金」となっているが、サイトを見たところ、多くの宿は大人も無料で受け入れる方針を示している。

利用に際しては以下のような条件がある。

■素泊まりのみ対応
■期間:(とりあえず)1月31日まで
■対象者
 ①家が全壊または住めない状況になっている
 ②現在避難所で生活していること
 ③自力で金沢まで行けること

申し込みは希望者が直接それぞれの宿に電話して「能登半島地震 被災者受け入れ宿泊施設一覧をみた」と伝えればよい。

賛同する宿を募集

同サイトでは北陸の宿の経営者に対し、さらなる協力を呼び掛けており、サイト内に登録フォームを設置している。


民間主導で生まれた動き。「一の矢」として経緯を表する。

ただ、施設一覧を見ると、まだ現状ではほとんど人のつながりで賛同した小規模な宿が多いように見受けられる。より大規模な施設が加われば実効性が高まるとみられるため、他人事のような言い方で恐縮だが、こうした動きが広がることを期待したい。

【私見】能登からの一時避難は何がネックか

報道によると、能登の被災者を、インフラのダメージが小さい金沢などに一時避難してもらうプランが「内々に検討されている」(日本経済新聞)らしい。筆者は大いに賛成するが、一筋縄ではいかないところもあると考えている。

筆者は奥能登に親族や知人が多く、勤務経験もあり、そもそも実の両親も奥能登出身。その肌感覚で言うと、能登(特に奥能登)の人は土地への愛着がものすごく深い。

数百人単位で死者や安否不明者がいて、たくさんの住宅が倒壊している中にあって、筆者が話した知人は「最悪の場合、金沢に移るわ」と言っていた。それを聞き、忍耐強さとともに土地や自宅への思い入れの深さを再認識した。

「物資不足」ではなく、物流停滞がボトルネックか

筆者は先日、親族に物資を運搬するため、自宅にあった非常用の水や食料をさらに買い足した。そのタイミングで、個人輸送の一般車両が多くて半島へ続く数少ない道路が渋滞し、緊急車両が通行しにくくなっていると知って能登行きを思いとどまった。

現在、金沢近郊では割と何でも手に入る。一方で「能登では物資が足りない」という。調べると、被災範囲が広い以外に、今は物資の確保量が足りないというより、物資を運び込むルートが渋滞・停滞していることがボトルネックのように映る。

トラックなら1台に積み込める荷物量を、5台の自家用車が思い思いに運べば、当然、道路は渋滞する。

だから知事や行政機関は個人輸送の自粛を呼び掛けている。そこで、筆者も個人輸送を控えている旨をXに投稿したら「いま足りないんだから誰かに託せ」「無駄になったら勿体ない」と言われて呆れた。

物資が確保できていないのではなくスムーズに行き渡らないのが課題で、障害の一つがその「誰か」なのに…。あと「誰か」って誰だろう。

集落ごと金沢へ避難?

さて、もともと半島への搬入経路というのは少なく、仮に幹線道路が幾つか復旧しても、隅々まで物を運べる環境に戻るには長い時間がかかると思う。行政も、そこで「むしろ人を動かそう」ということだろう。その方が支援者や物資の動線が短くなるし。

でも、上記のような地域性を考慮しないと、絵に描いた餅になってしまいそう。筆者の感覚では高齢の方を中心に「早く家をキレイにせんなん」「○○さんもおるし、住み慣れたココに残るわ」という性格の方が多いのが能登だと思う。

良く言えば地域コミュニティーの結束が強く、悪く言えば近所の目を意識し過ぎる面があるというか。そこで、コロナ禍のように行政が大きなホテル数棟を借りて避難施設とする一方、たとえば集落ごと一緒に移るような提案で「AさんもBさんも行く」という状況をつくることが必要だと思う。

ちなみに、筆者が担当者だったら、あまり市街地のホテルも落ち着かないだろうから、金沢国際ホテルや野々市市の「満天の湯 白山インター店」あたりに貸切交渉をするかな…。

もちろん、それとて安否不明者が多い現状で遠くへ避難する動機には弱いかも知れない。が、大切なのは「暖かくて水の出る部屋」というハード面とともに心理的なハードルを意識しないと、どこかのタイミングから移動が進まなくなるだろう、ということ。

残念ながら筆者は力不足で大したことをできないが、せめて、こうして自分の経験から考えたことを書き、それが誰かのさらなるアイデアにつながることを願っている。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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