理解の低さが招く逆差別/「女性管理職比率〇〇%」の数値目標に、違和感ないの??

理解の低さが招く逆差別/「女性管理職比率〇〇%」の数値目標に、違和感ないの??

2022年4月5日

2022年4月5日、ある新聞の1面に「県人事異動 女性管理職 最高12.9%」の見出しがあり、思わず「だから、どうした」と失笑した。県は(あるいは新聞は)何をアピールしたいんだ…。

近年は女性管理職比率の数値目標を掲げる企業もあるが、どうも「女性活躍」をはき違え、知らぬ間に逆差別をやってしまっている気がする。

本来、女性活躍は「性別によって不利益を受けることなく、誰でも頑張れば報われる環境を整える」のが趣旨。

大切なのは、よく言う「機会の平等」だ。

私見では、この「機会」を確保するため女性に配慮すべき点はある。簡単に言うと、女性は妊娠や出産などで職務に集中できない時期は、ノーカウントどころか普通に働いていたと仮定し、いざ職場に戻ったら、過去の延長線上で能力を発揮して周囲と切磋琢磨できるようにするのが、機会の平等だと思う。

自分と出世を競い合っていた女性が出産で1年職場を離れ、戻ってきたら、自分と横一線からスタートすることを容認する。「俺は1年間、懸命に仕事をしてきたのに」ではなく「彼女は母親として、俺がしてない経験をしてきたんだ」と捉える、というのが理想か。

女性活躍 ≠ 女性優遇

一方、女性管理職比率の数値目標は「結果の平等」を目指すのに近い。女性活躍の趣旨から言えば、機会の平等を確保した上で、性別に関係なく有能な人が管理職になるべきだ。

極端な例を示すと、男性が9割を占める会社で、管理職に適した社員の比率も「男性9:女性1」の場合。「管理職は10人に4人以上を女性とする」と目標を立てるのは適切だろうか?

この時、女性が性別を根拠に優遇され、男性は逆差別を受けることになる。つまり、何割かの社員は「男性であること」を理由に昇進が不当に難しくなるのだ。

女性に宿直ないのは逆差別?/女性に甘いダメ上司

冒頭の話でも、女性の管理職比率自体に絶対的な意味合いはない。「職員の男女比」「管理職になるべき人材の男女比」などと比較して初めて、数字の重みが分かる。そんな段階を経て初めて、悪い意味で性別意識をなくす次の段階に至る。

富山県政を担当した数年前、女性県議が議会で「防災を担う部署で女性に宿直がないのは逆差別」と言い放った。「鍵のある宿直室がないから女性は泊まれないと言うなら、宿直に入らなくするのではなく、部屋に鍵を付ければいい」と続けたのを聞き、記者席で感心した。

性別ごとに管理職比率の数値目標を作るなんてのは、形だけ取り繕おうとする安易な感覚の現れ。「結果」を設定し、それに現実を無理にでも合わせてしまおうと言うのだが、そこに至る「過程」こそ見直さないと、根本的な解決にはならない。

仮に女性社員の多くが「職場で自分の能力をしっかりと発揮できている」と充足感を得られる環境ができたとする。そうなれば、結果として女性管理職比率が8割だろうが2割だろうが、もはや数字の意味は薄くなる。

筆者が新聞社にいた当時、部下の女性記者を「新婚で大変だろうから、あんまり記事は書かなくていいよ」と言い放つダメ管理職がいた。本人は「デキる上司」のつもりだろうが、女性記者は「自分は戦力外?」と悩み、他の部下は「なぜ勝手に結婚して健康な同僚の分まで仕事しなきゃならんのだ」と不満が募った。

また、上記のように数値目標に固執することへの違和感を実名コラムに書こうとしたら「こんなのを載せたら女性団体から抗議が殺到する」と言う上司もいた。いわく「女性は地位を向上させなければならないもの」らしい。

地位を向上させる

この上から目線こそ、差別意識の根源ではないだろうか。その根深さを逆に思い知る羽目になった。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、地元新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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