2022年8月5日、金沢市の百貨店「金沢エムザ」に書店やカフェ機能を備える「TSUTAYA BOOKSTORE」がオープンする。当サイトでは一貫して否定的な立場で論じてきた。めでたいタイミングで水を差すのも何だが、エムザのツタヤに関するコラムの最終回を書く。
8月3日の地元紙に載った記者コラムを読んで笑った。エムザに関する部分を要約する。
①エムザにツタヤができることを「百貨店らしくない」と評する人がいる。それは狙い通り。
②「ある役員は『これまでと同じことをしていても、お客さんは増えない』と力が入っている。」(原文のまま)
百貨店という業態は現代において、一定以上の年齢層を除き、消費者から忘れ去られ始めている。その証拠に、既に徳島県や山形県には1軒もないし、福井県では唯一の店も規模を縮小。そう遠くない将来、地方では壊滅するかも知れない。
それなのに、取材に答えた人も記者も、この時代に未だ百貨店というものを神聖視し、その狭い視野でしか物事を考えられていない。だから文面は概して「お気楽」な印象だ。
三番煎じも「百貨店は別格」?
①②からは、旧態依然としたフロア構成を打破する会心の一撃がツタヤ(+ガチャガチャ?)であり、だからこれから客数が増えるぞ、という自信が垣間見える。
でも、今回は現在に至る停滞した状態の一部をやっとこさ否定しただけだ。イコール客数の増加につながるというのは論理の飛躍がある。
もちろん、ツタヤやガチャガチャの集客効果はゼロではないだろう。でも、ツタヤもガチャガチャも、既にイオンモールや駅ビル、郊外などに十分ある。その二番煎じ、三番煎じに近い取り組みなのに、なぜ、とりわけエムザに人が集まると楽観的に考えられるのか。
この「論理の飛躍」の背景こそ、未だに自らが「別格」と勘違いしていることにあると思う。その証しに「これまで」「百貨店らしさ」という言葉は、いずれも比較対象が百貨店自身。まるで、過去の自らを乗り越えられれば輝かしい未来が見えるとでも言うようだ。
小売業界はボーダーレスな販売競争を繰り広げており、消費者からすれば「業態」なんて考え方は意味がない。百貨店も、実際はイオンやフォーラス、専門店、ネット通販と戦っているはずなのに、いつまで「うちは百貨店業」と別格を気取るのか。
そして、消費者には「エムザのツタヤ」も「イオンモールのツタヤ」も「郊外のツタヤ」も大差はない(フランチャイズだから当然だ)。ツタヤを導入して「エムザっぽくなくなった」と感じるのは自己満足に過ぎない。
消費者がチェーン店を利用する際の評価軸は「自分の行動範囲に近いかどうか」という点のみ。遠方から人を呼び込めるものではないので、やはり客層を広げる効果は限定的に思える。
追求すべきは「唯一無二」のはず…
さて、地域人口が減る中で客数を増やすということは、これらの競合から客を奪うことに他ならない。それには、邪魔なプライドを脱ぎ捨て、それら競合の方が厚く支持されている現状、昔はメリットだった市街地という立地が今はデメリットでもあるという事実を認めないといけない。
曲がりなりにも客数の増加や客層の拡大を目指すなら、追い求めるべきは「過去の自分たちになかった(ただし、競合施設とは類似の)フロア」ではなく「どの商業施設もネットショップもマネできない唯一無二のフロア」のはず。産業史の一幕のような自らの亡霊に一矢を報いて喜んでいる場合ではないのだ。
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