【続報①】「人生の総仕上げ」一世一代の大勝負/旧ホテル百万石、加賀・山代温泉「みやびの宿 加賀百万石」/廃墟から再オープンへの足跡

【続報①】「人生の総仕上げ」一世一代の大勝負/旧ホテル百万石、加賀・山代温泉「みやびの宿 加賀百万石」/廃墟から再オープンへの足跡

2022年10月24日

2022年10月22日にTBS系番組「報道特集」で、雇用調整助成金の不正受給がスクープされた「みやびの宿 加賀百万石」。番組が放送された同日夕方以降、全国的に悪者扱いされている。

ただ、㊤でも指摘した通り、番組内ではニュース価値を高めるためにあえてそうしたのか、本当に知らなかったのか分からないが、この「みやびの宿 加賀百万石」を1907年創業で昭和天皇も宿泊した名旅館そのものであるかのように報じていた。

しかし、実際は最近になってオーナーが代わり、大改修を経て再オープンした旅館で、別物だ。もちろん不正受給は許されないが、巨大旅館の再生に向けたチャレンジ精神には敬意を払うべきだし、その後のコロナ禍という不運には同情の余地もある。

そこで、地元紙の記者として大改修を取材した筆者が「みやびの宿 加賀百万石」オープンまでの足跡をまとめてみる。

筆者にはここで不正受給を擁護する気も、あらためて非難する気もない。いずれ再取材して再生物語をまとめようと考えていたが、この状況下ではそれも望みにくいので、既知の情報だけで経緯を記事化する。

まとめページは以下のリンクから

【まとめ】加賀市山代温泉「みやびの宿 加賀百万石」がコロナ禍で雇用調整助成金4,000万円を不正受給

加賀市山代温泉の旅館「みやびの宿 加賀百万石」が、コロナ禍で授業員を休ませた際に…
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「星野リゾート、湯快リゾートに刺激受けた」

再生物語の始まりは2017年4月にさかのぼる。

グループで約40のビジネスホテルや観光ホテルを展開していたビッグ総合開発(大阪市)が、加賀市山代温泉に眠る巨大廃旅館の土地と建物を取得したことで物語が動き出す。

その旅館は2万1,000坪(約7万㎡)という広大な敷地に、200室以上の客室、日本庭園、イベントスペース「お祭り広場」などを備えていた。

旧名称は「ホテル百万石」。石川県を代表する旅館だったが、2012年9月に営業を終え、そのままの状態で山代温泉にひっそりとたたずんでいた。

取得額は非公表とされたが、改修して再オープンするなら、取得費用とは別に改修費用が数十億円かかると想像できた。17年7月、ビッグ総合開発の金沢孝晃会長(当時、現在は代表取締役から退いたとの報道あり)に取得の理由を尋ねると、金沢会長が嬉々として語り始めたのが印象に残っている。

「(廃業した旅館を生まれ変わらせる)星野リゾートや湯快リゾートの成功に刺激を受けていた。長く宿泊事業に携わってきた者として、大規模な旅館を再生してみたかった」

昭和天皇も宿泊した名旅館、ホテル百万石

ホテル百万石は1907年に創業した。1983年には、全国植樹祭のために石川県へ入った昭和天皇が、ホテル百万石の別館「梅鉢亭」(本館よりも高級だったのが別館)に宿泊した。

バブル期には年間の売り上げが80億円を超えていたという。

しかし、バブル崩壊や設備の維持費などが重しとなり、2010年、ホテル百万石の不動産を管理していた会社「北國リゾート」が破産手続きの開始決定を受けた。

その後も「百万石アソシエイト」という会社が営業を続けたが、2012年7月、金沢地裁が北國リゾートの破産管財人へ旅館の明け渡しを認めた決定を出し、2012年9月に営業を終了した。

その後は買い手がつかない状態が続き、4年半後の2017年4月にビッグ総合開発が取得。2018年12月27日にリニューアルオープンした。

「いや、これは…」戸惑うほどの惨状

筆者が初めて旧ホテル百万石の館内に入ったのは、2017年8月。「ビッグ総合開発が旧ホテル百万石を取得して再生する」という独自ニュースを北國新聞の社会面トップに書いてから、数週間後のことだった。

すごく、暑い日だったと記憶している。威圧感があるほど巨大な建物の正面玄関前に立つと、確か70歳前後だった金沢会長はランニングシャツ姿で出迎えてくれた。冷房の効かない館内で、自ら改修工事を手掛けているのだという。

その金沢会長が案内してくれた館内を見て、筆者はものすごく戸惑った。

確かに当時の栄華をしのばせる豪華な内装ではある。だが、まず、かび臭い。窓ガラスの幾つかは割れ(割られ)ているほか、雨漏りしているような箇所もあり、そこから浸入した雨水が、じゅうたんなどに染み込んでいたためだ。

そして、天井や壁のところどころに大きな穴が開いている。窃盗団がケーブルなど金属製のものを盗み出したためだという。ケーブルだけではない。蛇口も盗まれていた。

筆者が初めて現地を訪れた2017年8月時点の写真がコチラ。

2017年8月時点の「みやびの宿 加賀百万石」(旧ホテル百万石)

中央のホールに見える青い箱には、旧ホテル百万石時代に使われていた食器が仕分けされて入っていた。

この写真だけ見ると、整然としているように見えるし、設備もキレイなように映る。だが、実際は上記のような有り様だった。「5年間、人が出入りしないと、建物はこんなに傷むのか」と驚いた。

当時は景気が上り調子で、東京五輪に向けて建設業者の人手不足が叫ばれていた。そうした背景もあり、素人目にも「これは難工事になるぞ…」と予感した。

「団体客を呼べる宿」のまま大改装

当時は(今もだけど)旅行の個人化が進み、全国の歴史ある温泉旅館は館内の巨大な宴会場や会議室を持て余していた。

旧ホテル百万石も「玄関前に横付けされた貸し切りバスから、社員旅行や慰安旅行の団体客が次々と降り立ち、温泉を楽しんだ後は飲めや歌えやの大宴会。翌朝は館内の大きな売店で土産品を購入」という旧来の団体旅行を前提とした構造だった。

そこで、金沢会長に大改修の方向性を尋ねると、興味深い回答があった。「シニアの団体旅行を呼ぶんだ」と。旅行の個人化が進んだと言っても、それは若手を中心としたニーズの変化であり、団体旅行に慣れ親しんだシニアはまだまだ多い。当面、その層を狙うという。

旧来の路線を踏襲するため、施設名は「百万石」を引き継いで「みやびの宿 加賀百万石」とした。一方、カラオケルームやフィットネスジムなど現代風の設備も新設し、健康でアクティブなシニア層の受け入れに照準を合わせた。

大きな賭け、そして完成

金沢会長の口から何度か聞いたのが「これは男の夢」「人生の総仕上げ」といった言葉だった。

売上高50億円の会社が広大な土地・建物を取得し、数十億円の改修費をかけて廃業した旅館を再生するというのは、誰が見たって大きな賭けだ。しかも、上述のように現代の旅行のトレンドとは必ずしも合致しない。

当時の金沢会長は数々のホテルを手掛ける中、大きな旅館の再生への関心が高まっていた。そんな折、たまたま山代温泉に昭和天皇も泊まった名旅館が眠っていることを知って「こんなチャンスは2度と訪れない」と決心したという。

「老人が一念発起したこの大プロジェクト、長期連載で追い掛けない?」。生き生きと語る姿は、とても「老人」ではなかった。個人的にはやりたかった。それなのに、新聞社内で提案して一蹴され、そのまま引き下がった当時の自分の不甲斐なさを、今も悔やんでいる。


2018年12月22日に行われた竣工披露セレモニーには800人が出席し、宮元陸加賀市長や佐々木紀衆院議員らが祝辞を述べた。

「竣工」と掲げたものの、フィットネスジムは完成していないし、内外装はまだまだ補修の必要を感じる箇所も多い。完成度について、金沢会長は「8割」と言っていた。

セレモニー当日に居合わせた人々からは早速の悪評も聞こえたし、筆者も、客を受け入れるのは時期尚早なのではないかと思った。一方、1年半前に廃墟同然の館内を見た身からすると「この時期に、この短期間でよくここまで仕上げたな」と感じたところもあった。

欠かさず届いた年賀状と暑中見舞い

マスコミの悪い癖で、いったん施設が完成したら興味・関心が薄れて取材しなくなる。

「みやびの宿 加賀百万石」の場合も同様で、たまにホームページを見て新しい設備が加わったことを密かに喜んだが、足は遠のいた。そんな不調法者のもとにも、ビッグ総合開発からは年賀状、暑中見舞いが欠かさず届き、筆者が独立した際も金沢会長から励ましのメールをいただいた。

雇用調整助成金を巡る騒動は、実際に誰がどんな指示をしたのか分からない。

ただ、皮肉なのは、今回の騒動がかつての名旅館を舞台としているためキー局から大々的な取材が入ったこと、だからこそリニューアルから4年近く経つ中で最も注目を集めたこと。そんな状況からの再スタートは、2017年からの再生物語よりもさらに険しい道のりになるのかもしれない。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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