コマツの無人ダンプ、全世界で600台が活躍/鉱山の全自動化へトライアル/林業を第3の柱に/IRセミナー振り返り

コマツの無人ダンプ、全世界で600台が活躍/鉱山の全自動化へトライアル/林業を第3の柱に/IRセミナー振り返り

知ってるようで知らない石川県発祥の会社、コマツ(小松製作所)。

2023年2月7日に開かれたIRセミナーを視聴したところ、初耳のことも多かったので、セミナーでの説明とホームページから得た情報で、コマツという会社の現状を簡単にまとめてみた。

工夫に乏しい箇条書きみたいな記事で恐縮だが、筆者をはじめコマツ初心者の方に有用な記事になってほしいと願う。

売上高は過去最高3兆4,600億円の見込み

コマツはもともと「竹内鉱業」という会社が1917(大正6)年に開設した「小松鉄工所」を前身とし、祖業は自社用工作機械、鉱山用機械の生産だった。

1921年5月13日に竹内鉱業から分離独立して「小松製作所」を設立。1934年に東京株式取引所に株式上場した。小松市の粟津工場を1938年に開設する。1951年に本社を小松市から東京へ移した。

2022年3月期の売上高は2兆8,023億円で過去最高だった。23年3月期(今期)の見通しは3兆4,600億円で、過去最高実績を大幅に上回る。営業利益はこれまで19年3月期の3,978億円が最高だったところ、23年3月期は4,400億円となる見通し。

現在は海外生産比率が6割に達し、世界86拠点で製品を作っている。販売面では148カ国に211の販売代理店を有するグローバル企業である。

創業者は吉田茂の兄

実はコマツ創業者の竹内明太郎(高知県宿毛氏出身)が元首相の吉田茂の兄だ。

だからどうということはないが、豆知識として。世の中にはすごい兄弟がいるものだ。

経営の柱は「建設機械」「鉱山機械」

さて、コマツは大小さまざまな製品を作っている。現状、経営の柱は「建設機械」「鉱山機械」で、これに次ぐ第3の柱として、林業機械分野の成長を目指している。

それと言うのも、林業を「環境意識の高まりの中、プラスチックの代替材料としてニーズが安定し、世界的に成長する産業と捉えている」(セミナーより)からだ。

林業は「植林・造林」「育林」「伐採」のフローに分けられるが、コマツは伐採だけでなく、植林・造林を効率化する機械も作っており、市場浸透を図っているという。

もっとも、コマツと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、依然として建設機械や鉱山機械。

コマツは2008年、世界で初めて無人ダンプトラックを商用化した。2021年12月末時点では全世界(オーストラリア、チリ、カナダ、ブラジル)の21の現場で600台が稼働している。なんと、1,000㎞離れた場所から遠隔で運行管理できるらしい。

自動運転のブルドーザー、遠隔操作の超大型シャベル

さらに現在では、鉱山での作業全体を自動化すべく、ブルドーザーの開発を進めている。

遠隔操作・自動運転のブルドーザーはトライアル(実証実験)中で、超大型油圧ショベルや無人の専用運搬車両の遠隔操作に関してもトライアル実施へ向けて調整中だという。

工程全体を無人化できれば、安全性が高まるほか、生産性も上がるし、ムダがなくなれば環境負荷も減らせるだろう。

コマツは中国銘柄じゃない!

株式市場を見ていると、中国で何か市場にネガティブな話題が出ると、コマツが「中国関連銘柄」として売られる場面を目にする。

しかし、IRセミナーでも強調されていた通り「コマツは中国銘柄ではない」。

まず、コマツの売上高は22年3月期時点で国内が12%で、今期は10%を切るぐらいで推移している。つまり、売り上げの9割を海外から得ているわけだが、そのうち中国の比率は3%に過ぎない。これはアフリカ(5%)よりも低い。

今では中国はどちらかと言うと、販売のための市場というより、東南アジアや中近東、アフリカなどへ持っていく製品の生産拠点としての役割が重要になっているようだ。

ちなみに、サプライチェーンの混乱について、調達面への影響は未だゼロではないようだが、多くは解消されてきており、国内は操業度が高い。一方、コマツで作った製品を輸送する際の混乱も落ち着き、平常化に向かっている。


ちなみに、コマツは上記のように、通常の事業を通して環境負荷を軽減するような製品の開発、製造に勤しんでいるわけだが、一方で地雷の除去といった問題にも取り組んでいる。そのことを紹介した動画に出てきたコピーは「生きる場所を つくる」。

人類が争った負の遺産である地雷を、人類が知恵と技術で解決する。そんなグローバルな問題に取り組む企業が石川県発祥というところを、あらためて誇らしく感じた。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、地元新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

PAGE TOP