あなたの職場にも「ジャマおじ」「ジャマおば」いる?/デジタル対応できず、旧来の風習を押し付け

あなたの職場にも「ジャマおじ」「ジャマおば」いる?/デジタル対応できず、旧来の風習を押し付け

2021年12月2日

※以下の文章には年配労働者をひとくくりにして非難する意図はありません。「自分も気を付けよう」との自戒も込めて書いております。あらかじめご理解ください。

 

2021年11月29日にNHK総合の「ニュースウォッチ9」で特集されていた「“コロナ時代”の仕事術 『ジャマおじ』『ジャマおば』に注意!」が面白く、非常に共感して視聴した。

内容の一部を筆者なりに要約すると以下の通りだ。

コロナ禍で仕事や働き方のデジタル化が有無を言わさず進んだ。

すると、デジタル化に対応できる社員と対応できない社員の様々な差が明確になった。

後者はこれまで気合と根性で仕事をこなしてきた年配の世代に多い。

そういう社員は「マンパワー(人手)」を投入し、手間暇をかけてこそ仕事だと考える。

ただ、そんな働き方では、デジタル化された業務環境での生産性が著しく低くなる。

結果、要らぬ手出しで周囲の作業を妨げる「邪魔な」おじさん・おばさんになってしまう

これを聞いて「うちにそんな社員は一人もいないよ」と断言できる会社はあるだろうか。

もし、あなたがそう言えるなら、すごく幸せな環境で働いていると思うべき。ここより下の文章を読む必要はないと思う。

DX? それ、ただの「D」だよ…

最近、そこかしこで「我が社はDX(デジタルトランスフォーメーション)への対応が急務だ」と唱えられている。しかし、とてもじゃないが、そんな高度な段階にはないだろう、と感じるようなことが多い。

DXとは、そもそも①デジタル化(D)によって②業務を変革(X)する―という2段構えのはず。それなのに、極論すると「DX=IT化」ぐらいの感覚の経営者や企業が相当数いるように思う。つまり「最新のパソコンに買い替える=DX完了」といった有様だ。

まあ、広義の広義の広義では間違っていないかも知れないが、そういう理解の低さを見るにつけ、実はその経営者自身が「ジャマおじ」なのでは??と思ってしまう。

「会社に行く」という仕事

筆者が勤めた会社には、先方からメールでもらったデータを紙に印刷し、なぜかエクセルにキーボード入力している上司がいた。

何かにつけて「全員野球だ!」と言い放ち、目につく部下・後輩を一つの仕事に投入し、人海戦術で解決したがる年配者もいた。

こうしたことを言われる度に「全員野球って、各自が異なるポジションで役割を果たし、チームとして結果を出すことでしょ?全員でそろってマウンドに上がることなの?」と疑問が湧き出た。

そうした「ジャマおじ」たちの共通点は会社にいる時間が長いことだ。

彼らは口で「働き方改革の推進だ」「生産性の向上だ」と言うが、それは自分が時代の潮流に乗った上司だとアピールするポーズであり、言葉の意味は理解していない。

ニュースウォッチ9の通り、根底では多くの人手で多くの時間をかけ、多くの汗をかいて取り組むこと自体に価値があると考えている。「仕事は苦しいもの。歯を食いしばって根性で立ち向かうんだ」

しかし

ムダに「歯を食いしばる」必然性など、ない。

ムダに「根性で立ち向かう」必要など、ない。

そのムダをなくして効率化する方法こそ考えないといけない。

本来は「今日は何を成し遂げたか、成し遂げられなかったか」を省みる必要があるのに、結果や効率よりもプロセスを重視すれば、毎夜「今日は作業がはかどらなかったけど、朝から晩まで仕事をした。ふう、よく働いた」と言って缶ビールを開けることになる。

「ジャマおじ」たちは「会社に行くという仕事」をして満足してきたため、会社という存在がオンライン化されると居場所がない。「仕事をするという仕事」でプロセスに重きを置いてきたため、各自で進めた作業の成果物をインターネットでやり取りするようになると、途端に存在価値が薄くなる。

こうして考えると、業務の「X」に先立ち、まず変えなければならないのは「ジャマおじ」たちの意識であることが見えてくる。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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