2023年10月13日、金沢市大豆田本町の犀川河川敷に、全国の警察車両が大集合していて壮観だった。明日(10月14日)に国民文化祭が開幕し、天皇・皇后両陛下が15日から石川県入りされるのに合わせて集結したとみられる。
警察車両が集まっていたのは、冬季になると雪捨て場として活用される場所。
午前11時半ごろに見に行くと、こんな感じだった。
ざっと確認できるナンバーは、千葉、静岡、島根、久留米、福岡など。こうやって見ると、全国の警察で、いすゞ自動車製の同じ型の車両を使ってるんだな。
周辺を歩いていると、黒や紺といった濃い目の服を着た、屈強で精悍なお兄さんたちのグループがチラホラ。こんなに警察官の人口密度が高いエリアはなかなかないだろうな…。
どんどん警察車両が集まる中、その背後で急いで雑草を刈っていた。
午後2時半ごろにも見に行ったけど、一部の車両はいなくなっていて、上の写真ほど「集結感」がなかったので、撮影せずに帰ってきた。
「犀川の戦い」?
ところで、時はさかのぼり、1577年のこと。「越後の虎」とか「軍神」とか呼ばれる上杉謙信が、堅牢な七尾城を落とした上で加賀に向けて南下した。目標は織田信長の重臣で福井を拠点としていた柴田勝家の部隊だ。
諸説あるところ、ざっくりと紹介する。
柴田軍は七尾城を救援するために北上しており、七尾城が陥落したことを知らなかった。手取川を渡ったところで上杉軍と出くわし、混乱の中で退却しようとするも、大雨の影響で手取川が増水していたため、数に勝る柴田軍は川と上杉軍に挟まれて大敗した。
これを「手取川の戦い」という(手取川の戦い自体が存在しないと言う人もいる)。
それから約450年。やってきた新潟県警の車両を見て、筆者は驚いた。
ん???
上杉謙信が崇拝し、旗に掲げた「毘沙門天」の「毘」じゃないか!また謙信が来た!
思えば、奥能登にルーツを持つ筆者の家系の歴史を紐解いても、上杉謙信の能登国侵攻が出てくる。その善悪や是非はともかく、先祖は上杉謙信に敗れた事実がある。
まして、加賀藩の礎を築いた前田利家はもともと、上杉謙信に敗れた柴田勝家の弟分である。その加賀藩が繫栄した証しである「百万石」を冠した国民文化祭(別名・いしかわ百万石文化祭)の開幕前に、犀川べりまで「毘」が迫るとは、まるで「犀川の戦い」だ!
……と、全国から来た警察の皆さんが多数いる中、大豆田大橋の上でニヤニヤしながら一眼レフを構える筆者。不審者として職務質問されても不思議じゃなかったな…。
ちなみに浜松ナンバーの静岡県警の車両は、徳川家康の「葵の御紋」を掲げてた。この分だと、石川県警は前田家の梅鉢紋なのかな?
ともあれ、本番が無事に終わることを祈っています。以上。