【提言】新幹線時代の北陸観光「宿泊は富山・福井へ、食事・買い物は金沢へ」と分担したら?/被災者「追い出し」にみる近視眼

【提言】新幹線時代の北陸観光「宿泊は富山・福井へ、食事・買い物は金沢へ」と分担したら?/被災者「追い出し」にみる近視眼

北陸新幹線が東京から福井までをダイレクトに結ぶ時代になお、政治・行政の世界は「県境」の意識が強すぎる。2024年3月16日の新幹線敦賀延伸を控え、馳浩石川県知事が旅館に避難している能登半島地震の被災者を移動させたがっているような発言を聞き、そう感じた。

この記事では筆者による現状認識と解決策を考えてみる。まだ初動を振り返るような段階ではないので、過去に焦点を当てた「べき論」ではなく、現実を所与のものとして、未来に向けた話を書きたい。

先に要点をまとめる。

●被災者対応も観光客対応も全てを石川県が背負うのは困難。どれか手放すべき

●実は石川県内でダメージが大きい産業は飲食や土産

●北陸新幹線で北陸3県を移動する時間は短縮され、1つの大きな街になる

●以上から、被災者に宿泊施設を使い続けてもらった上で「宿泊は富山・福井へ、食事・買い物は金沢へ」と呼び掛けてはどうか

●「能登に来ないで」「石川県に来て」の混乱で得た教訓を生かせ

●実施に当たっては宿泊施設への補助増額で納得感を(ここが大切!)

●能登のこと、表面的ではなく、もっと深く理解して

簡単に言うと、優先順位を決めて「選択と集中」を進め、広域で補い合い、それで不利益を被るところには支援を、ということ。

読むのに15分ほどかかる長文です。後半の「心に、それぞれの能登」以降だけでもお読みいただけると幸いです。

「あれもこれも石川県で」は可能?

被災者の避難先と宿泊需要に関し、筆者が取材や報道で認識している流れをまとめる。

1.1 能登半島地震が発生

復旧工事や保険調査に関わる民間企業が金沢市内のホテルを押さえる

石川県が2次避難所を確保しようと思った頃には、既に金沢市内のホテルは余力なし。体育館や3大都市圏などの宿泊施設まで手を広げて数万室単位を確保

避難は進まず。特に北陸以外は利用ほぼナシ

北陸新幹線敦賀延伸が近付き、仮設住宅の着工を背景に「被災者は加賀温泉などから移るべき」という空気感がつくられ始める

3.16(予定)北陸新幹線敦賀延伸

まず、馳知事の発言は「石川県は被災者の住まいを確保し、復旧工事業者を受け入れ、観光客の宿泊・買い物・飲食需要も受け入れないと」という前提に立っているとみられる。「あれもこれも全て石川県で囲い込みたい」という意識だ。

そんなことできる?平時はともかく、今はできないだろう。状況が180度変わったのに、いまだ2023年末に描いてた理想を追いかけ、現実を無理に曲げようとしてはいないか。

発災直後、金沢のホテルは地震による設備損傷に加え、すぐに民間企業が押さえて受け入れ容量が低下した(※)。今ではやや緩和したものの高稼働に変わりはないと聞く。金沢を中心に石川県内(あるいは富山県西部も。便宜上「石川県」と書く)はキャパが減ったままなのだ。

宿泊料金は供給に対して需要が多くなればなるほど高騰する仕組み。2015年の北陸新幹線金沢開業後、1泊3万円台のビジネスホテルが問題視されたのは記憶に新しい。キャパが低下したまま「石川に泊まって」と言えば、無用なハレーションを生みかねない。

まして、その部屋は自宅を失った被災者を追い出したためにできた空室だったと旅行者が知ったら、せっかくの旅気分が台無しどころか罪悪感すら与えかねない。

今の石川県内で仮に被災者が宿泊施設から出ても空き容量の増加分は多くなく、観光ブランディングでは逆効果すらあると考える。何よりも「3.16新幹線延伸」の前提がある中で被災者に避難所として宿泊施設を紹介したのに、新幹線を理由に追い出すのは不義理が過ぎる。

民間企業を悪者扱いしているわけではありません。むしろ、動きの速さに感心しています。

ダメージ深刻なのは飲食業や土産店

もともと冬の北陸は観光の閑散期。そんな時期に宿泊需要が高まったため、宿泊施設は(単価はともかく)客数や売り上げが例年を上回っているところもある。

他方でダメージが深刻なのは飲食業や土産店のようだ。観光客が減ったのはもちろん、新年会をはじめとした飲食需要は減退している。自粛ムードは大きくなってないと思うが、ゼロでもないだろう。

よって、今回の提案では、飲食業や土産店、それに付随した業界を支援するのが喫緊の課題だという前提に立っている。

「県民の利益」って

筆者は過去、石川県が北陸新幹線敦賀延伸を「北陸新幹線石川県内全線開業」と称していることを非難してきた。新幹線は広域を高速で結ぶことが最大のメリットであり、県境で「ぶつ切り」にするのは矮小化に他ならないと考えるからだ。

もちろん、石川県庁は県民の税金などを原資に運営されており、県民の利益のために動くべき。でも、「石川県民の利益」は全てを石川県内に囲い込むことで最大化されるわけではない。

「餅は餅屋」というように、物事をなすには何でも自分でやるより、それが得意な人・できる人に任せる方がうまく運ぶ。だからメーカーも伝統工芸もサービス業も分業や委託の関係を幾重にも張り巡らせる。

普段なら石川県こそが宿泊業の「一番の餅屋」という自負があろうが、今はどうか?和倉温泉は地震で休業が続き、金沢のホテルは受け入れキャパが低下し、加賀温泉では被災者がようやく落ち着き始めたところ。とても「餅」を売る余力などない。

「金沢ー富山・福井」≒「金沢ー野々市」

3月16日に敦賀まで延伸する北陸新幹線は、富山ー金沢や金沢ー福井を20分台で結ぶ。金沢駅から車で野々市市に行く所要時間と同じぐらいか。

再び「餅屋」に例える。自社工場がパンク状態で、従業員が残業で疲れ果てている。この状況で経営者が考えるべきは、すぐ隣の余力ある工場に一部作業を委託して従業員を休ませることか、疲れた従業員を解雇して他の従業員のケツを叩いて不眠不休の餅製造を強いることか。

今こそ、新幹線が横串を通す北陸3県を「1つの街・地域」とみなして分業体制を敷くべき。隣の餅屋を頼ろう。隣接する各県がそれぞれ余裕があるor困っている分野を前面に出す「宿泊は富山・福井へ、食事・買い物は金沢へ」と呼び掛けたらいい。

「能登に来ないで」「石川県に来て」混乱の教訓

発災直後、石川県当局が「能登に来ないで」「石川県に来て」と呼び掛けて混乱を生んだ。そして「混乱された方もいらっしゃるよう」と情報の受け手を小バカにしたような投稿をしていた。いや、情報発信が最悪なんだよ。そもそも能登は石川県だから。

ともあれ、ここから得られた教訓は「(残念なことに)世の中の人は石川県の地理を知らない」「可能な限り具体的に言わないと伝わらない」ということ。

良し悪しは別として、県外では「石川」より「金沢」の方が知名度が高い。だから、いま望ましい支援の象徴として「宿泊=富山・福井」「食事・買い物=金沢」とメッセージを発する。

発言は対象を広げれば広げるほど焦点がボケて伝わる。第1段階において「金沢の他に小松や白山もあるし…」みたいな配慮は要らない。旅行好きな人は放っておいても金沢ついでに他のエリアにも立ち寄るし、第2段階で他のエリアもPRすればいい。

避難者受け入れの宿泊施設には補助増額を

もっとも、業種を限定すると、それによるマイナス影響を受ける関係者が出る。たとえば、旅館は被災者がいなければ高い単価で観光客を受け入れられる。一度宿泊した客は、いずれリピートするかも知れない。そのチャンスを逃してしまう。

そこで、被災者を受け入れた際の補助を観光客の宿泊料金に近い水準まで引き上げ、宿泊施設の納得感を醸成する必要がある。普通なら旅行客1人を3万円で泊める宿には、被災者1人につき1万円ではなく3万円ぐらいを支給するということだ。

2024年2月7日付の北國新聞によると、和倉温泉の加賀屋は営業再開のメドが立たない中で従業員を休ませている。旅館業は慢性的な人手不足にあるので、こうした休眠中のスタッフを稼働中の旅館が受け入れられれば、既存スタッフの負担感を和らげながら営業できると思う。

こうした対応策の積み重ねが県民の利益の最大化につながると筆者は考えている。

「心に、それぞれの能登」

最後に。

報道によれば、加賀温泉に避難し、現地の学校に通い始めた子どももいる。数週間がたち、ようやく避難先での日常・学校生活に慣れた頃に「新幹線で観光客が来るから、能登にできた仮設住宅へ」と、家族ごと移されるべきだろうか?

しかも、これが見落とされがちな問題だと思うが、仮設住宅がある場所は「この家族が思い描く能登」ではないかも知れない。

奥能登に赴任経験があり、親族みんな能登出身の筆者の経験から言うと、能登の人は心の中に「それぞれの能登」を持っている。

能登の人は極めて狭いエリアと自身のアイデンティティーを結び付ける。能登町宇出津の人は「能登≒宇出津」で、珠洲市飯田町の人は「能登≒飯田」だ。「能登の仮設住宅に戻れる」と言われて向かった先が隣の町なら、その人にとって、そこは「能登」ではない。

2次避難が進まなかった背景には、こうした意識があると筆者は思う。

もちろん、仮設住宅を迅速に整備するには一定の場所に集約する必要がある。とは言え「能登に戻れる」の文言は住民感情と離れている。それを無視して移住させるのは、北國新聞が連載で書いていたように「たらい回し」と言わざるを得ない。

避難中の被災者が自ら「そろそろ『能登』へ戻ろう」と思うまでは、せっかく落ち着いた今の生活環境を維持してあげてほしい。それこそが、県民の利益を守る取り組みの1つだろう。

「元通り=解決」ではない

一連の行政施策は「早く元通りに」という強い意識が根底にあるように見える。でも、これからの能登を考えた時に「元通り」は解決策にならない。

北國フィナンシャルホールディングスの杖村修二社長が日本経済新聞のインタビューで「能登復興、デジタルで進化形に」と語っていた。「進化形」。まさに同感。取り組むべきは単に元通りに修復することではなく「新しい能登」をつくる壮大なプランだ。

失われたものを美化し、感傷に浸っても何も始まらない。もともと能登は課題先進地域だった。そこを直視しないといけない。

馳知事は「キリコ祭りができるようにする」と言うが、近年はキリコを組み立てても担ぎ手がいないから飾るだけという地域も増えた。かつて、ある商店主は「俺の代で廃業にする」と語った。

そんな事情をどこまで理解しているのだろう。「元通り」で済む話ではない。現状で奥能登の高齢化率は50%。仮に15年ほどかけて復興にメドがつくとして、その頃には人口が半減し、高齢化率が60%に高まっている可能性もあるのだ。

「新しい能登」を

多くの犠牲を払い、能登は地域を根幹から再構築する機会を得た。今やるべきは次代を担う人々と行政が一緒になって、従来の歴史や伝統の上に持続可能な地域であるためのプランを描くことだろう。

たとえば「新しい能登会議」みたいなものを設けてはどうだろう。参加制限はナシ。能登の住民はもちろん、能登出身で県外にいる人も、単に能登が好きなだけの人も、誰でも参加して良い。オンラインを駆使し、なるべく多様な人で未来の能登を語り合う。

行政の会議では事前に結論が決まっていて、形だけ有識者を集めて「お墨付き」をもらうケースも多いが、新しい能登会議は完全にゼロベースで始める。とにかく異論反論歓迎。むしろ、そういう意見を大切にする。

そういう環境が構築できれば、再び立ち上がった能登は、かつてないほど強い足腰で、大きく、堂々としているだろう。


時間軸で言えば「この先100年」を見て、地理的に言えば「北陸は1つ」で捉えるべき、今のタイミング。「避難所がないから旅館を使おう」「観光客が来るから被災者は旅館から仮設住宅に」「全てを石川県で囲い込もう」という近視眼には不安が募るばかりだ。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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