連載【みやびの宿 加賀百万石】㊦ 新社長の吉田久彦氏インタビュー<後編> これからが「めちゃくちゃ楽しみ」/消えない「ホテル百万石」のDNA

連載【みやびの宿 加賀百万石】㊦ 新社長の吉田久彦氏インタビュー<後編> これからが「めちゃくちゃ楽しみ」/消えない「ホテル百万石」のDNA

(文・聞き手 国分紀芳)

昭和天皇やサッチャー英首相、ダライ・ラマら著名人が宿泊した旅館「ホテル百万石」も、その御曹司にとっては毎日の遊び場だった。華やかな館内を歩くと、スタッフが次々とお菓子をくれたのを覚えている。

「大きくなったら、この旅館をやるという気持ちは当然あった」。2022年10月に「みやびの宿 加賀百万石」の社長に就いた吉田久彦氏(39)は、幼少期からイベントを手伝い、高校から慶應義塾へ進んだ。大学卒業後はJTBに就職し、名旅館の跡取りとして地歩を固めた。

ところが、そんな順風満帆の日々は1本の電話から狂いが生じる。


吉田久彦 加賀市出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、JTB勤務、森の栖リゾート&スパ支配人などを経て、2021年にコンサルタントとして独立。2022年10月17日、株式会社みやびの宿 加賀百万石の社長に就いた。39歳。

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海外で聞いた突然の知らせ

JTBに勤務していた2010年、海外にいた吉田氏のもとへ、親から電話があった。

「ホテル百万石は破綻する」

衝撃だった。ホテル百万石は「日本一の名旅館」とまで言われた。全焼の憂き目に遭いながらも再建し、増築に増築を重ね、どんどん成長した。それが潰れるというのだ。

幼い頃から「旅館業は設備投資産業だ」と叩き込まれてきた。

宿泊客を飽きさせてはいけない。次々と投資を実行し、再び訪れてもらった時には、前回と異なる新たな驚きを提供しないといけない、という意味だ。

「でも、いま思うと、旅行のトレンドが団体から個人に変わる中、バブル前後の積極投資がたたった。設備の維持費、固定費が重く、負のスパイラルに陥っていた」

ホテル百万石は所有者(北國リゾート)と運営者(百万石アソシエイツ)に分けられ、百万石アソシエイツが旧ホテル百万石の営業を続けた。

そんな中、温泉の権利を引き継ぐことと、創業家の長男が戻ってくることで周囲に安心感を与える効果を狙い、百万石アソシエイツに入った。

大阪営業部を経てフロントマネージャーに。2012年には夏を満喫できる企画を実施し、久しぶりに単月の売り上げが2億円を超え、手ごたえを感じていた。

その矢先、社長室に呼ばれて「ここを閉めることになった」と告げられた。

前兆がなかったわけではない。従業員の給与支払いは遅れ、自身もしばらく無給で働いていた。取引業者への売掛金も膨らんでいた。

12年9月、ホテル百万石は幕を下ろした。

大幅「減築」プランで再建狙うも頓挫

吉田氏は2015年、スポンサーを確保して旧ホテル百万石を再建しようとしたことがある。

思い描いていた再建プランは大胆なもの。

現在の「本館北」「本館南」「別邸『奏』」のうち、最も格上の別邸のみを残し、本館北と本館南を解体する。本館北と本館南の跡地には、別荘タイプの高級宿泊施設「ヴィラ」を幾つか設ける。巨大な日本庭園を持ち、富裕層に特化した高級旅館を構想したという。

ところが、合わせて200室近くの客室と大小の宴会場など、さまざまな設備を持ち、強固な構造を誇る本館北と本館南は、解体だけで4億円もの資金が必要だった。

その上で富裕層に満足してもらえるヴィラを建てるとなると……結局、計画は頓挫した。

悩んだ社長就任の打診

時は流れて2022年10月、旧ホテル百万石を買い取って「みやびの宿 加賀百万石」として再出発させていたビッグ総合開発(大阪市)から、新たに立ち上げた旅館運営会社の社長に就任してほしいという打診があった。

「正直、悩んだ」

その複雑な心境は、筆者のようにサラリーマン家庭に生まれた身には察しきれない。そこには幼い頃に思い描いた「百万石」の社長の座がある。だが、それは自分の知る「百万石」とは違う。時代背景も社会環境も変わっている。

「しかも(自身が設立した)コンサルティング会社で、1つの旅館にどっぷり浸かるのではなく、さまざまなクライアントの課題を解決する仕事に、やりがいを感じていたところだった」

オーナー会長が感じた「創業家の思い」

そもそも、運営会社の社長を外部から招くなら、宿泊施設の支配人・社長として実績のある人なら誰でも候補に挙がるはず。筆者からすれば、創業家の出身者が再び入ると、社内外で無用な混乱・詮索を生むリスクもあると思ってしまう。

なぜ、旧ホテル百万石の再生を担ってきたビッグ総合開発の金沢孝晃氏(前会長)は、わざわざ吉田久彦氏に打診したのか。吉田氏は、こう聞いたという。

「金沢さんは『あの館内を歩くと、創業家の思いをひしひしと感じる』と言っていた」

自身が受け継いだ「創業家の思い」

思えば数年前、金沢氏と同じく自身も「百万石」を再興しようと思い立ったのは、この「創業家の思い」の故ではなかったか。

吉田氏が2021年に始めたコンサルティング会社は「花屋」と言う。コンサルなのに「花屋」とは不思議に映るが、この社名、実は1907年創業でホテル百万石の前身となった「花屋旅館」に由来する。

そう、祖業、そしてホテル百万石へのプライドは途絶えていなかったのだ。

迷いの中、今のクライアントに相談した。すると、思いのほか歓迎された。「それはすごい」「絶対、挑戦すべき」

1週間後、金沢氏に電話した。

「お受けしたいと思います」

マイナスのスタートも、悲観せず

過去の雇用調整助成金の不正受給により、社長就任後の目立った初仕事は「謝罪会見」になった。長引くコロナ禍と不祥事。マイナスからのスタートだろうが、意外に悲観してはいない。

「ネガティブばかりに見えても、探せば、必ずポジティブのヒントはある」

当面の自分の仕事は「目指す方向を正しいベクトルに修正すること」だと考えている。この点、もともと適正人数より少ないと考える従業員は、不正の影響でさらに減ったものの「考えようによっては、少ない方が新しいビジョンを浸透させやすい」と捉える。

強がりにも聞こえる言葉だが、それを筆者が本音だと受け止めたのは、予期せず巡ってきた現在の立場にワクワクしているように見えるから。

「これからが、めちゃくちゃ楽しみ」

あの頃、みんなから「坊ちゃん」と可愛がられた青年は、希望に満ちた表情で、きらびやかな館内を見渡していた。

(おわり)

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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