【残念】いしかわ・金沢 風と緑の楽都音楽祭が「終了」か/2024年からは田舎版紅白歌合戦に?

【残念】いしかわ・金沢 風と緑の楽都音楽祭が「終了」か/2024年からは田舎版紅白歌合戦に?

2023年11月6日

【追記】本記事公開後、読者から「既に随分とごちゃ混ぜ要素が入り始めている」と指摘いただきました。認識・取材が甘かったです。以下の文章に特定のジャンルや演者を否定する意図は一切ありません。イベントの方向性を論じる目的で書きました。「大して知らないくせに書くな」とも言われましたが、無関係だからこそ言えることがあると思ってます。

その後、2024年から名称を「ガルガンチュア音楽祭」と改めて「幅広い世代」向けに開催することになりました。

毎年ゴールデンウイークに開かれるクラシック音楽の祭典「いしかわ・金沢 風と緑の楽都音楽祭」が実質的に「終了」する見通しとなった。報道によると、2024年から対象ジャンルを昭和歌謡などにむやみに広げるようで、まるで「田舎版紅白歌合戦」のような色合いを強める可能性がある。

今回はこの謎の動きについて、筆者なりに情報収集&考察してみる。筆者の主張を先に申し上げると

「裾野を広げる」の名でむやみに「大衆化」しては価値を損なう危険がある。従来型の大衆なんて現代にはいない。未来を見据えると、何でも一緒くたにするのではなく、むしろターゲットやジャンルごとに細分化したイベントをそれぞれ尖った形でやるべきだ

ということになる。

若者が昭和歌謡を熱望?

楽都音楽祭はもともと、2008年に始まった「ラ・フォル・ジュルネ金沢」を引き継ぐ形で2017年に始まった。過去のテーマは以下の通り。

  • 2017年「ベートーヴェンが金沢にやってきた!」
  • 2018年「ウィーンの風に乗って、モーツァルトが金沢に降臨」
  • 2019年「春待つ北ヨーロッパからの息吹 北欧とロシアの音楽〜グリーグ、シベリウス、チャイコフスキー、ショパン〜」
  • 2020年【中止】「世界の音楽、広がる和 ~世界のアーティストが金沢に大集合!~」
  • 2020年 「風と緑の楽都音楽祭・秋の陣」
  • 2021年「南欧の風-イタリア・スペイン・フランス-」
  • 2022年「ロマンのしらべ~金沢は浪漫に染まる~」
  • 2023年「東欧に輝く音楽~プラハ・ウィーン・ブダペスト~」

作曲家や音楽の根付いた街・地域がメインテーマになってきた。当日は金沢駅前を中心に、大人向けの演奏だけでなく、子どもがクラシックに親しめるプログラムも用意されている。

ところが、である。2023年10月21日の北國新聞朝刊によると、馳浩石川県知事は音楽祭で取り扱う音楽のジャンルを拡大すべく検討している旨を公言したという。

その記事に書かれているのは、以下の内容だ。

①対象音楽のジャンルを広げる

②理由は若者を中心にクラシック以外のジャンルの要望が多かったから

③そこで、アニメ・映画音楽や昭和歌謡を加える

……アニメ・映画はともかく、若者から「クラシック以外も演奏してほしい」と言われた返答が「じゃあ、昭和歌謡をやろう」は、あまりに支離滅裂だろう。

昭和が終わったのって、35年ほど前。「若者」って、どの世代を指してるの?

「裾野を広げる」?

続く11月3日の同紙朝刊。馳氏はインタビューで、オーケストラ・アンサンブル金沢の公演でアンケートをとると、昭和歌謡や子どもの歌が人気だったと紹介。そこで、クラシックへの間口を広げるために「キャッチーな部分」として導入するという。

これ、正しそうに見せてはいるが、誤っている。

アンケートの対象は実際にクラシックを聴きに来た人たち。放っておいてもコンサートやイベントに来る層だ。裾野(インタビューでは「入り口」と表現)を広げるのに有効な方策を探りたいなら、クラシックに無関心な層にアプローチしないと意味がない。

たとえば、商業施設やスポーツイベントにいる人たち。活動的だけど音楽祭に来ない人に「どうしたらクラシックに興味を持つか」「何があれば、わざわざ音楽祭に足を運ぶか」を尋ねてはじめて、新規客を得るヒントが見つかるだろう。

そもそも「裾野を広げる」必要性について説明が必要だと思う。仮に裾野を広げるにしても、多かれ少なかれ固定イメージのついた既存イベントを改編するより、新たに初心者向けのイベントを企画した方がスムーズに浸透して効果的なのではないか。

大衆化と「幕の内弁当化」で文化を破壊?

しかも、上記の記事によると、現在の「風と緑の…」の名称も変えるという。せっかく15年も続けたクラシック音楽の祭典としての地位を名実ともに捨てる気なのか。

「ミソもクソも…」の度が過ぎる手法を「幕の内弁当化」とでも呼ぼう。確かに品数は多いけれども、明確な方向性のない「ザ・無難」にまとまる感じだ。

こうした手法は時代遅れの新聞や百貨店に多い。マーケティングを無視し、顧客はみな同じ顔だと決めつける。そして「これがあれば間違いない。みんなコレ」とうたい、顧客に「売ってあげる」。

昭和期はそれでも良かった。経済成長に伴って周囲が裕福になる「1億総中流」の時代に「みんなと同じ」は安心材料。さらに「いつかはクラウン」のコピーに象徴されるように「これを持てば一人前」という一定の基準もあったんだと思う。

でも、今は個性の時代で、消費者の志向は複雑だ。ファストファッションに身を包む富裕層も、高級輸入車を乗り回す低所得者もいる。極論すれば、人の数だけカテゴリーがある。

そんな時代に、総花的な内容が「キャッチー」だろうか。娯楽があふれ、選択肢や価値観が数限りなく存在する中、人がわざわざ足を運ぶのは「そんな狭いテーマで人が集まる?」というような先鋭的なイベントだ。

「ペルソナ?いや、老若男女すべてだよ」は、いわば「ターゲットを絞れない=商品・サービスの特徴を明確化できない」ことを正当化しているに過ぎない。

万人受けを狙って薄味にされた幕の内弁当。大衆迎合化を突き進むと、新規客に響かないばかりか固定客も失い、それぞれのジャンルの価値も損ねかねない、と筆者は考える。

それでも思いつくまま盛り合わせて1人でも多くの観客を集めるイベントをしたいなら「リニューアル」「見直し」という半端な言い方はやめ、新たに「いしかわ何でも文化祭」みたいなイベントを始めれば良い。

「とことん昭和歌謡祭」やったら?

もちろん、何だってマンネリ化を防ぐために新風を入れる必要はある。しかし、それは従来の方向性に沿う前提だ。

サッカーのイベントに「同じ球技だから」とバスケやバレーの要素をたくさん入れると、確かに関係者は増えるがチグハグさも生まれる。「自分に合う球技は何だろう?」ぐらいの初級レベルの人にはありがたいだろうが、逆に従来からのサッカーファンは楽しめなくなる。

異質な要素の存在感を高めたいなら別のイベントを企画すべきだ。昭和歌謡であれば、シニアが数十年前にタイムスリップできる「とことん昭和歌謡祭」みたいな催しが考えられる。

シティーホテルをワンフロア貸し切る。エスカレーターを上がった瞬間、懐かしの祭りの縁日の光景になっていて、休憩所の白黒テレビにはプロレスが流れている。宴会場では昭和歌謡を聴きながら、クジラの竜田揚げを肴にホッピーを飲む、みたいなイメージ。

会場は一大ブームを巻き起こしたボウリング場を貸し切っても良いかもしれない。

いつもの音楽堂で、いつものホール。演目だけ変えても面白みがない。狭いターゲットに対し、とにかく具体的に世界観を表現すべき。内装を含めて「体験」を作り込めば、受け入れ人数が少なくても、単価は上げられるだろう。

結局、リニューアルは誰のため?

さて、この音楽祭の「リニューアル」について、筆者には怒れる・呆れる複数人から情報や意見が届いた。話を総合すると、結局は「ある会社」と親しい演奏家の出演機会を増やす目的があるという見方もできるようだ。

実は昭和歌謡に加え、もっと別の日本の伝統的なジャンルをねじ込めないか画策する動きがあるとか、ないとか。クラシックは金にならないが、その辺りのジャンルの「ある会社」シンパはチケットをさばくのが得意だぞ、ということとみられる。

そこまでゴチャ混ぜになると、冒頭に書いた通り、広く浅く、田舎版の紅白歌合戦のようになる。でも、本家の紅白は50年前に75%ほどだった視聴率が20年ほど前から50%を超えられず、足元は30%割れが迫る。時代に合わなくないのは明らかだ。

アイドル、実力派、大御所、ロックミュージシャン、演歌歌手……さまざまな人が順に歌う番組は、昔なら「豪華幕の内」として好まれただろう。が、今の感覚ではタイパが悪い。視聴者は興味のあるアーティストだけを見たくて、それ以外は眼中にないからだ。

そんな消費者像にフィットしたのがYouTubeやNetflix、Amazon、SNSなどで、対応できなかった(しなかった)のがオールドメディアや百貨店といったところ。そんな構図が決定的なのに、なぜ後者のルートをなぞろうとするのだろう。


ラ・フォル・ジュルネ金沢が始まって約15年。人間なら中学校を卒業する頃です。

今回の件を例えると、懸命に吹奏楽に打ち込んできた子が、高校入学時に「それじゃモテんからバンドやれ」「伝統音楽は金を集めやすいし、鞍替えしろ」と真正面から否定されてるようで、聞くに忍びないと感じました。

(この記事を読んだクラシックの演奏家から「私たちは懸命にやってるのに、ヒドイ!」と言われました。いや、私は各分野の価値を守るため、ごちゃ混ぜイベントにはすべきでない、ということを申し上げているのですが…)

門外漢のくせに偉そうなことを抜かしました。気に入らなければ「素人の戯言」と一笑に付してください。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

PAGE TOP