津波を見に行く記者は模範か?それを褒めた先輩は正しいか?2024年度新聞協会賞で世間と新聞業界のズレを実感

津波を見に行く記者は模範か?それを褒めた先輩は正しいか?2024年度新聞協会賞で世間と新聞業界のズレを実感

2024年9月6日

北國新聞社の若手記者が能登半島地震直後に撮った津波の写真が、2024年度の新聞協会賞に選ばれ、SNSで波紋を呼んでいる。

この会社で働いた経験のある筆者(私)は写真の希少性こそ認めるが、撮影行為や記事内容はむしろ反面教師にすべきで、それを賞賛するあたり、いよいよ新聞業界は世間とのズレが埋められないほど広がったと認識した。

「海の様子を見ようと」

発災から2カ月後の3月1日付北國新聞によると、記者は2024年1月1日の能登半島地震直後、一刻も早い高台への避難が求められる中で「海の様子を見ようと」歩いていき、津波が押し寄せる様子を撮影した。記事では「先輩からスクープ写真だと褒められた」と嬉々としてつづられている。

(記事では見出しや文中で「スマートフォンで撮った」とやたら強調されているが、意図が不明。今は老いも若きもスマホを持っているし、写真撮影時はスマホを使うのが普通。逆になぜ仕事中の記者が一眼レフを持ってないのか疑問が残る。)

発災直後、筆者は金沢市内でNHKのニュースを見ていた。女性アナウンサーが声を枯らしながら強い口調で高台への避難を促していたのが印象に残る。あの必死の呼び掛けによって救われた命があるかも知れない。メディアの役割は正しい(とされる)行動を広く伝えることにあると感じた。

むしろ問題は会社側の思慮の浅さ

もっとも、筆者も元記者なので、撮影した記者の気持ちが分からないでもない。記者は常に大きなニュースを求めている。一生に一度の事態に遭遇したら、気持ちが昂って足が動くのは自然なことでもあり、若手記者の使命感自体は良いと思う。

でも、それは他人に迷惑をかけない範囲の話。海に向かう自分に警告しようとした人が津波に巻き込まれるかも知れない。自分を救助しようとした人が死ぬかも知れない。他人の生命より優先すべき自分の仕事なんて、絶対にない。

若い記者は経験値が低く、気持ちで突っ走りがちなので、上司や先輩は若手記者の手綱を引かないといけない。仮に若手記者が「すごい写真を撮れた!」と興奮していても、撮影の過程が常識の範囲を逸脱していたら、たしなめるべきだろう。

自身を振り返っても、マスコミの記者は大なり小なり特権意識があり、上から「報じてやってる」という感覚もある。でも、今は個々人が発信力を持ち、共感が重んじられる時代。マスコミといえど、世間のルールから外れると非難される。

それなのに、褒めてどうする。百歩譲って内々に褒めるのは良いとしても「先輩からスクープ写真だと褒められた」と平気で掲載するのは思慮が浅いと言わざるを得ない。

その割に、紙面掲載後に外部で批判の声が出たのを気にしたのか、紙面で「海の様子を見ようと」と書かれていた撮影の経緯は、新聞協会賞の受賞理由欄で「避難の途中で身の安全を確保しつつスマートフォンで捉えた」になっている…。

記者も命を第一に

さて、北國新聞は別の日の紙面で、津波が迫る中で船を守るために沖へ出た漁師の話が美談として取り上げていたと記憶している。これも自分の都合で他人に取り返しのつかない迷惑をかける可能性がある行為で、写真撮影の件と似ている。

こうした顛末を知ってか知らずか表彰しちゃった日本新聞協会。示された「誤った模範」にならい、使命感に駆られて命を落とす記者、その巻き添えを食う人が出ないことを祈っています。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、地元新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

PAGE TOP