PR方法の大間違い/「東京で人気の…」は時代遅れ、もうやめたら?/失敗事例に学ぶ

PR方法の大間違い/「東京で人気の…」は時代遅れ、もうやめたら?/失敗事例に学ぶ

2022年7月23日

2022年に入り、金沢市内の筆者自宅から遠くない場所に、自称「〇〇(首都圏の有名都市)で大行列の××が北陸に初進出」となる飲食店ができた。具体的な店名や住所は伏せるが、オープンから数週間、いつ前を通っても車がほとんどない。出だしは最悪なようだ。

筆者なりに分析すると「都会で人気の△△」みたいなPR方法は時代錯誤も甚だしいと思う。来店動機を作る段階で見る人を白けさせるため、肝心の商品うんぬんの話に至れないのではないか。

今では、能登半島の先端に住んでいても南砺の山間部に住んでいても、インターネット通販を使えば、たいていの物は数日以内に取り寄せられる。

この時代に「その日に目の前の日本海でとれた魚を、その場で調理する海鮮丼屋」というように「鮮度」を売りにされれば、店まで出掛けざるを得ない。でも、売りが「人気」なら、とりあえずネットで類似の商品をポチれば(注文すれば)数日以内に試せるし、せいぜい「近くに行ったら寄ってみてもいいな」ぐらいの記憶しか残らない。

次の見出し以降で、その理由を述べる。

ちなみに、新聞社時代、デキる風の広報・販促担当者が陥りがちな失敗を見てきた。それは希少性を示すため「〇〇初登場!」を前面に押し出すPRだ。レア度はきっかけ作りにはなるけど、人は最終的に「美味しいから」「雰囲気が好きだから」「コンセプトに共感するから」足を運ぶのであり、珍しいからではない。すしべん、8番らーめんを見たら分かる。

もう「みんな買っている」は響かない

1年ほど前に「里山資本主義」という書籍の著者、藻谷浩介氏の講演を聞き、感銘を受けた箇所がある。その箇所の要旨は確か以下の通りだったはずだ。

よく「若者の東京流入が止まらない」「地方は高齢化で疲弊している」と言われるが、それは誤解。しっかり分析すれば、東京に入っていく若者がいる半面、出ていく若者もいて、そんな若者が活躍する地方もある。いま東京に多いのは、むしろ出稼ぎに行って死ぬまで離れない高齢者、歳をとって利便性を求めて東京に移る高齢者だ

それなりの年配の方の家を尋ねると、高い確率でテレビが点いている。良いとも悪いとも言わない。その世代は「東京的なもの」に多かれ少なかれ憧れ、それを自分も手に入れることが喜びだったんだと推察する。文化の中心地は明確に東京だから、地方で「東京で人気の…」という販促が成立した。

ところが、今の若者はテレビや新聞、雑誌など「マス(=大衆)」向けメディアと距離を置き、TwitterやInstagram、YouTubeで自分が心から好きなジャンルの情報に多く触れる。文化の中心地は自分自身、あるいは画面の奥の発信者で、むしろ「周囲とは違う」ことに胸を張る。良し悪しはさておき、そんな世代に「東京で人気の…」と言って響くはずがない。

全国大手ブランドが「地産地消」

上記の個性化が進んだ結果、地方在住者の中で中央主導の「流行」の存在感が薄れ、相対的に自らの住む土地の風土を見直す意識が強くなったのではないかと感じる。

それを補足してくれる事例が、全国的な大手ブランドが看板商品の味付けに地域Aで親しまれる商品を採用し、地域A限定で販売する、というもの。金沢カレー味や白エビ味などだ。

冷静に考えると、妙な話である。普段から地元のカレー店に通い、スーパーで生の白エビを買える人に、今さらその味の菓子を作って販売するのだから。でも、類似事例が後を絶たないということは、それなりに売れるのだろう。確かに、筆者も何度か買ったことがある。

そう言えば、アメリカ発の大型スーパー「コストコ」では、目を疑う大容量で地元のソウルフードが売られている。あれも地元店限定の別注品なのだろう。

こうした消費者意識、大手ブランドの動きを観察すれば、間違っても「東京の人気商品を地方に持ってきてやったから、食いに来い」という、やたら上から目線のPRにはならないはずなのだが…。

数カ月後、店の前を通ったら「テナント募集」の看板を目にしそうである。

国分 紀芳

国分 紀芳

1985年生まれ。石川県出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、北國新聞社に入社。キャリアの大半を経済記者として過ごす。2022年2月に独立・起業した。

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