【コラム・雑記】理解の低さが招く逆差別/「女性管理職比率〇〇%」の違和感

5日、ある新聞の1面に「県人事異動 女性管理職 最高12.9%」の見出しがあり、思わず「だから、どうした」と失笑した。県は(あるいは新聞は)何をアピールしたいんだ…。近年は女性管理職比率の数値目標を掲げる企業もあるが、どうも「女性活躍」をはき違え、知らぬ間に逆差別をやってしまっている気がする。

本来、女性活躍は「性別によって不利益を受けることなく、誰でも頑張れば報われる環境を整える」のが趣旨。

大切なのは、よく言う「機会の平等」だ。

私見では、この「機会」を確保するため女性に配慮すべき点はある。簡単に言うと、女性は妊娠や出産などで職務に集中できない時期は、ノーカウントどころか普通に働いていたと仮定し、いざ職場に戻ったら、過去の延長線上で能力を発揮して周囲と切磋琢磨できるようにするのが、機会の平等だと思う。

自分と出世を競い合っていた女性が出産で1年職場を離れ、戻ってきたら、自分と横一線からスタートすることを容認する。「俺は1年間、懸命に仕事をしてきたのに」ではなく「彼女は母親として、俺がしてない経験をしてきたんだ」と捉える、というのが理想か。

女性活躍 ≠ 女性優遇

一方、女性管理職比率の数値目標は「結果の平等」を目指すようなもの。女性活躍の趣旨から言えば、機会の平等を確保した上で、性別に関係なく有能な人が管理職になるべきだ。

極端な例を示すと、男性が9割を占める会社で、管理職に適した社員の比率も「男性9:女性1」の場合。時流に合わせて「管理職は10人に4人以上を女性とする」と目標を立てるのは適切だろうか。

この時、女性が性別を根拠に優遇され、男性は逆差別を受けることになる。

女性に宿直ないのは逆差別?

冒頭の話でも、女性の管理職比率自体に絶対的な意味合いはない。「職員の男女比」「管理職になるべき人材の男女比」などとの比較で、初めて数字の意味が分かる。そうした段階を経て初めて、悪い意味での性別意識をなくす次の段階に至る。

以前、富山県政を担当した頃、女性県議が議会で「防災を担う部署で女性に宿直がないのは逆差別」と言い放った。「鍵のある宿直室がないから女性は泊まれないと言うなら、宿直に入らなくするのではなく、部屋に鍵を付ければいい」と続けたのを聞き、記者席で感心した。

そもそも「男性が…」「女性が…」と分けて言う時、性別を判断材料にしようという意識が見え隠れする。「男女平等」という言葉があること自体、平等ではない証し。そんな言葉がなくなる環境でこそ、本当の平等が実現される。

この点、性別ごとに数値目標を作るなんてのは、形だけ取り繕おうとする安易な感覚の現れであり、問題の所在をはき違えまくっている。

新聞社時代、部下の女性記者(フルタイム)を「新婚で大変だろうから記事は書かなくていい」と早々に帰す管理職がいた。上記のような話を実名コラムに書こうとしたら「こんなのを載せたら女性団体から抗議が殺到する」と言う上司もいた。いわく「女性は地位を向上させなければならないもの」らしい。

地位を向上させる」。この上から目線こそ、差別意識の根源ではないだろうか。

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