【コラム・雑記】奥能登の地震報道の波紋を受けて/マスコミを擁護してみる

2022年6月19日午後3時8分、奥能登で震度6弱の地震があった。その直後、ある首長に電話インタビューしたテレビ局に対し、ネット上では非難の声が高まった。これについて、思うところを書く。

「首長の邪魔をするな」???

首長がテレビに電話出演したのは、地震発生から12分ほど後のこと。すると、そもそも首長の出演自体に「マスコミは邪魔するな」「わざわざ市長に電話するな」との批判が相次いだ。

中には「今どき電話じゃなくZoom使え」という、冗談なのか本気なのか分からない批判も。

筆者は、それら全ての批判を全く理解できない。

まず、取材は基本的に「話を聞きたい」「話しましょう」のコンセンサスから成り立つ。

取材する側は当事者たちの中から話を聞くための適任者を探し、打診する。受ける側はそこに意味や価値を感じれば応じるし、違うと思ったら断る。

今回、テレビ局が首長個人に出演を打診したのか、役所に取材対応を依頼したら首長が出てきたのかは分からない。が、そもそも「マスコミが邪魔をする」という一方的な構図ではないのは確かだ。

いずれにせよ、首長はさまざまな思いの中、マスコミを通じた情報発信が公益に叶うと判断し、電話出演したはず。一方的にマスコミだけを責めるのは、見当違いも甚だしい。

「マスゴミ」も役立つことがある。それが災害時

マスコミが近年「マスゴミ」と叩かれるのは、各方面に目配りして(=顧客層を絞らず)、さまざまなジャンル(=総花的)で、誰でも読みやすい(=薬にも毒にもならない)記事を量産する傾向が、個人レベルで多様化が進む現代に合わないのが原因だと思う。

毎日こってりラーメンを食べる熱烈なマニアはいても、のり弁を何より愛し、毎日食べるファンは極々少数だろう。のり弁には悪いが「ま、これでいいか」と手に取る対象だ。

そんなマスコミが、現状、最も価値を発揮する場面の1つが災害時。経営学的に考えると、災害時は富裕層も貧困層も、高齢者も若者も子どもも、基本的には等しく「被災者」という単一属性になって「マス」しか存在しなくなるからだ

そして、被災地のことを案じた全国の人が役所に一斉に電話する(まあ、そこまでしないだろうが)代わりに、マスコミが一括して取材して情報を広め、被災地の負担を和らげるとも言える。

だから、地震があれば、誰もがテレビやラジオをつける。もしくはネットで調べる。しかし、Twitterでは断片的な情報しか分からず、気象庁のサイトやポータルサイトは震度や深さなど基本情報のみ。より詳しく、包括的な情報を知るにはマスコミに頼るほかない。

余裕のない役所を お望み???

話を6月19日の地震に戻す。テレビ局への非難に「首長は陣頭指揮をとらないといけないのに」というのもあった。

災害時の首長の仕事は多い。ただ、奥能登では2021年から地震が頻発しており、役所は有事の初動体制を確立しているはずだ。震度6弱の地震は大変な事態でも、毎週のように地震がある地域・時期で、いざ地震の直後に首長が電話1本できないほど余裕のない役所があるとしたら「これまで役所は何をしていたんだ」と逆に不安になる。

市民からすれば、自分たちの代表である首長の「皆さん、冷静に」の呼び掛けで落ち着く場合もある。職員が粛々と情報収集に当たっている間、「マス」に向けて何らかのメッセージを出すのも、立場ある者の務めだろう。

もちろん、幹部職員向けの「陣頭指揮」は大切だ。しかし、そのうちの数分間を、マスコミを通じた市民への情報提供や呼び掛けに使うのが、非難されるべき行為とは思えない。

「第4の権力」と呼ばれるマスコミへの監視は市民の役目だ。ただ、今回の報道内容は取材者も出演者も、地震直後からの数分間に、被災地域や関係者のため何をどうすべきか考えた結果だったはず。それが単に「マスゴミを叩く俺って知的!」と言うための材料に使われたように思えて残念だ。「被災地のことを考えろ!」というマスコミへの批判を、そのまま返したい。

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